「2011年10月」アーカイブ

町内会初めてのバスツアー

私の住む町内会の活動は、元気な地域生え抜きの長老たちのおかげで長く続いてきました。しかし、これまで何故か町内単位での旅行にはついぞ行ったことがなかったのでした。

町内の古紙回収事業が続いて、1キロごとに5円という奨励金が少しずつ貯まってきたので、それを活用してバスツアーが初めて実施されました。

あいにくの雨模様でしたが、バス一台で出発。まず筑前町の大刀洗平和記念館へむかいました。同館は、かつて東洋一とうたわれた旧日本軍大刀洗飛行場とその関連施設があったことから、昭和20年3月の空襲で壊滅したほか、子どもたちを含む多くの犠牲者が出たという歴史的事実をつたえ、恒久平和を願う施設として2年前に開館したものです。

ここには1996年に博多湾から引き上げられ日本にただ一つ現存する九七式戦闘機が保存されていますが、何とわが町内長寿会の松田博文会長は、旧満州でこの戦闘機を整備兵として整備していたのだそうです。

「わしの指紋でも付いてないかと思ってねえ」。松田会長は、親の反対を押し切って15歳で少年飛行兵に応募したものの、体格等で整備兵になり旧満州で終戦、長らくシベリア抑留を経て北九州に帰還したという経歴をお持ちです。お言葉が胸に響きました。

同館を後にした一同は、日田市へ。昼食をいただいた後、サッポロビール日田工場見学です。ビールのできる過程を見学した後は、エビスビールで乾杯。「出来たてのビールがおいしくなくなるから」と、昼食でビールを自粛した強者も、そのうまさを堪能されていました。

帰りは、道の駅などで買い物をして、一路小倉へ。午後6時過ぎには無事、町内へ帰還しました。

「また行こうね」「楽しかったね」などの声が飛び交うなかで散会となりました。町内の旅行も良いものですね。

写真は平和資料館・零戦前(ここだけは撮影許可)

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井堀小新校舎の落成式

小倉北区の井堀小学校の新校舎は、完成してすでに使用されていましたが、落成を記念する式典と祝賀会が行われました。私もお招きいただきましたので出かけました。

体育館での式典では、学校長のご挨拶などが続いた後、6年生の児童代表の新校舎プレゼンテーションなどが行われました。その中で、児童たちは何と枕の草子第一段「春はあけぼの」をすべて暗誦で披露。日頃の学習のすばらしい成果を発表しました。

聞けば、同校は国語教育に力をいれ、読書活動も活発だとか。新しい校舎の学校図書館もオープンですばらしいものとなっていました。

国語は文化と学力の基礎だと思います。この新しい校舎で、子どもたちは、しっかり勉強していくことでしょう。午後からは、場所を変えて祝賀会。ここでは、居合いや古武道の演武なども披露されて、関係者の皆さんは、楽しく時間をすごしながら新校舎の落成を祝っていました。

写真は、井堀小の図書館と、祝賀会での古武道演武のもよう。

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櫓山荘子ども俳句大会表彰式

大正期の実業家・橋本豊次郎が小倉北区中井浜に建てた櫓山荘は、当時、多くの文化人が集うサロンともなりました。

豊次郎の妻・多佳子は、ここで杉田久女から俳句の手ほどきをうけ、久女と多佳子の二人は俳句の世界で大きな業績を残したことから、近代女性俳句の源流と評されることとなりました。

これらを記念して平成17年から始められた「櫓山荘子ども俳句大会」が今年も行われ、その表彰式が市立文学館でありました。

今年は、小学校21校、中学校19校、特別支援学校1校から、4,958名の児童生徒が応募してくれました。

表彰式には私も参加させていただきましたが、それぞれ子どもらしい良い作品が表彰されました。

 

大賞は光貞小学校6年生・前川優加さんの「秋の風 花の便りの宅急便」という作品でした。

表彰作品のうちで私が好きな句は、松ヶ江南小学校六年の北野凜太郎君の秀作「夏空にうかびあがりて大鳥居」。

夏休みに神社で空を見上げた風景でしょうか、青い空を背景に大鳥居が大きく見えたのでしょう。大変雄大で、良い句だと思いました。

写真は表彰風景(於 北九州市立文学館)です。 

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杉田久女展がはじまります!

いよいよ「俳人 杉田久女」展が、市立文学館ではじまります。

11月3日から12月25日まで。一般400円です。

杉田久女は、小倉に住み大正から昭和初期にかけて活躍した女性俳人。活動期は決して長い期間ではありませんでしたが、才能を一挙に開花させ女性俳句の草分けとなりました。

色彩的で美しい句も多いのですが、この季節、私が一番好きな句は「秋きぬとサファイア色の小鰺買ふ」。皆様ぜひ文学館へお越し下さい!

北九州市水道100周年を祝う

北九州市に近代的な水道が布設されたのは、旧門司市で100年前の明治44年のこと。海外航路の船舶に積み込まれた門司の水は「赤道を越えても腐らない」と評判だったとか。

北九州水道100周年を記念する式典と祝賀会が開かれ、私も参加しました。式典では、北九州水道百年のあゆみが映像で上映されたほか、大分県中津市など北九州市水道の水源地の自治体に対して感謝状も贈呈されました。

また、永年にわたって北九州市が水道事業の改善を支援してきたカンボジア王国からは、北橋市長をはじめ貢献してきた水道関係者に友好勲章が授与されました。

挨拶に立った北橋市長は「戦乱など心配や不安があるなかで、派遣された市の水道職員は懸命にがんばって、かつてプノンペンの水道で漏水率が70%あったのを、8%という先進国なみの改善を達成した。この度の受章はこうした懸命な努力に対して贈られたもので、代表して心より感謝申し上げるとともに、今後も末永く支援を続けていくことをお約束する」と、目を潤ませながら謝辞をのべました。

北九州市の水道事業は、故・谷伍平市長時代から市の人口が将来130万人となることを想定して水源開発を進めてきたことで、現在では水需要を上回る給水能力を獲得できたのと、比較的安いコストで開発が可能だったという歴史的事情があります。渇水時には能力はあっても給水がそれを下回ることもあり、広域給水が可能となった現状も肯定的に捉えて、これからも活用を考えていくべきだと思います。

またこれまでの経験と技術をいかして、始まっている「水ビジネス」への挑戦も了とすべきでしょう。

市の水道事業を今後も安定的に運営するとともに「次世代の水道」にむけてさらに改善を求めたいと思います。

何はともあれ100周年おめでとうございます。(写真は、式典で受章の謝辞を述べる北橋市長)

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地方自治に「独裁」は要らない!

どうやら橋下大阪府知事が任期中途で辞職し、大阪市長選挙に出馬することになったようです。選挙に「強い」?候補なので、大阪市は結構大変なことになりそうですね。

橋下市長の力の源泉は、結局は、あの河村名古屋市長などと同様、テレビで知名度があがったことだけであり、政治的実力とは無縁だというべきです。私はこれを「テレビ権力」とよんでいますが、これが結構、選挙に強い。不幸なことですね。

橋下氏の言葉は「大阪市から権限を引っぺがす 今政治に必要なのは独裁なんです」など刺激的で、面白い。ですが、本当の事を語っているのだろうか検証してみる必要がありそうです。

 

橋下氏が知事に当選したときでしたか「借金に頼らないで、府税などの収入だけで運営する」と語っていたことがあります。これを聞いて、私は「ああ、この人は素人だ」と思ったものです。公共事業などでは、橋やスポーツ施設など住民が長期にわたって使っていくものなどの建設費に府債を充てることは、ごく自然なことで、一般家庭が家や車のローンを組むのと変わりません。府債自体が悪いのでも何でもない。

ところが、そう主張しておきながら、現実には、大阪市では市債が減少しているのに対し、橋本府政での借金は逆に増えているのです。

 

彼の主張する「大阪府構想」は内容がないため、大阪市を廃止して「都」に一本化すればすべてがうまくいくかのような幻想を振りまいているだけのように見えます。

具体的に見てみると、多くの特別区をつくるため確実に無駄が増えること、都内で各区ごとに、さらには周辺自治体などとも格差が生じること、交通・病院・上下水道などを都が引き受けると住民サービスは遠いものとなり二重行政は解消されないこと、などなど、無駄をなくし住民サービスが充実する「理想」とは、逆の結果となかねない懸念材料に事欠きません。

市長選挙に勝った橋本氏(一年で辞めると公言しているらしい)が、「権限のひっぺがし」や「独裁」を叫んで、市議会や市職員はては住民と対立ばかりしている姿が想像されてしまいます。

地方自治に「独裁」は必要ありません。大阪市民は、ぜひ冷静に現実を直視して大阪氏の自治を守ってほしいものです。

議会長老の逝去

旧小倉市時代から通算53年間も市議会議員を務められた長老・平山正智さんが亡くなりました。86歳でした。

議長副議長を歴任されましたが議会での質問でも、いつも堂々と元気に演壇に立っておられました。

その内容は、教育と日の丸掲揚に特化した質問で、私とは立場を異にしていましたが、私が議員になりたての頃「お前も、平山さんのように特徴のある議員になれ」などと言われたことをなつかしく思い出します。心よりご冥福をお祈りいたします。

三郎丸校区の敬老会

今年はちょっと遅めの開催となりましたが、私の地元三郎丸校区の年長者福祉大会が開催されました。

いつものとおり足立中学校ブラスバンド部の演奏をはじめ、保育園児の踊りや歌などもまじえてにぎやかに開催です。

校区では100歳の方がお一人、90歳以上の方は25人を数えるそうで、誠におめでたいことです。

近年、年金や社会保障の財源不足がうたわれ、それがあたかも高齢化だけに原因があるかのような主張が見受けられますね。まるで長寿が悪いかのように。

長寿社会はおめでたい社会であり、誰もが高齢になり一定の社会資源を必要としますが、その共通財をみんなで確保し合っていくことが公の役割であることを改めて確認し合いたいものです。

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宮本武蔵兵法二天一流演武を奉納

剣豪・宮本武蔵は7年にわたって小倉に滞在したといわれています。

細川藩家老・長岡佐渡を通じて藩主に佐々木小次郎との決闘許可を願い出ていますが、その長岡佐渡の屋敷跡は現在「小倉城庭園」となっています。

武蔵の兵法「二天一流」は現在まで受け継がれ、第11代宗家を小倉の岩見氏が受け継いだのを機に、小倉城庭園の前に「誠心直道の碑」が建立されました。毎年、その碑の前で演武が奉納されています。

今年も、小雨がぱらつく中でしたが、碑の前に武蔵所蔵の木刀が奉納された後、二天一流の演武が披露されました。また、今年は長崎から源平合戦以来800年の歴史をもつという竹生島流棒術も披露されました。棒術の演技を私も初めて拝見しました。

この演武奉納も来年は第10回となるため、さらに盛大なものにしたいと主催者の宮本武蔵小倉顕彰会の田中会長代行は語っておられました。

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久女・多佳子の会総会ひらく

今日は、私も会員である「久女・多佳子の会」(柿本和夫会長)の総会が開かれ参加しました。いよいよ北九州市立文学館で始まる「杉田久女展」への協力や、久女忌など年間の活動計画などを決めました。また、(仮称)久女を語るホームページの作成も進めることとなりましたので、私もできる限りのご協力をしたいと考えています。ご協力いただける方は、ぜひお力添えをお願いいたします。

実は、総会に先立って、小倉北区にある小倉東篠崎教会で福島牧師先生から久女の足跡についてのお話しをうかがいました。

この教会はかつて小倉鍛治町にあった「鍛治町教会」で、洗礼を受けた久女さん(夫の宇内さんも)が通っていたのでした。新しい会堂を建設しようとしていた時期で、久女さんも婦人会員として建設資金をつくるためのバザーに出す「フランス刺繍」を夜中まで縫うなど一所懸命だったようです。

福島牧師によれば「教会100年史」を編纂中に、久女の娘さんである故・石昌子さんから電話があり「教会時代が、久女さんも自分も一番幸せな時だった」と懐かしそうにお話しになったそうです。教会は後に現在地に移転されて、会堂もなくなるのですが、経緯を綴った「100年史」には、会堂のステンドグラスは杉田宇内さんが作成されたものだったことなども記録されています。

また面白いのは、そのころ教会では幼児から高校生までを対象にした「第一回臨海夏期学校」を橋本家別荘・櫓山荘で開催していることです。これも久女さんなどが取り持って開催されたのではないでしょうか。

福島牧師先生には、突然おたずねしてさぞ驚かれたことだろうと思いますが、久女多佳子の会の皆さんに良い話題提供となりました。

同教会と久女の絆には文学館も興味を示しており、担当者さんが伺って改めてお話しをおききすることになるようです。福島先生どうぞよろしくお願いいたします。

 

年金一元化の公約はどうなった

昨日から新聞各紙で厚生労働省が「厚生年金支給年齢の65歳への引き上げを4年前倒しする案を社会保障審議会年金部会に提示した。」ことを大々的に報じています。

「年金支給年齢引き上げなどにより年金財源の安定化を図る狙いがある。政府は来年の通常国会 に関連法案を提出したい考えだが、受給間近の世代には生活設計の見直しにつながるだけに反発も予想される。」などとも。でもちょっと待って!

民主党は年金改革の基本を「年金の一元化」としてマニフェストで「月額7万円以上の年金を受給できる年金制度をつくり、高齢期の生活の安定、現役時代の安心感を高める。」「全ての人が同じ年金制度に加入し、職業を移動しても面倒な手続きが不要となるように、年金制度を例外なく一元化する。」(2009マニフェスト)としてきたのではなかったか。そして私は、その方向は現在でも正しいと思います。

もちろん直ちには実現できない。財源の確保も必要ですね。しかし、その道筋をつけなければ、非正規労働者がこれほど増加し、また産業構造の大きな変化を迫られる時代に対応できないのは明らかではないでしょうか。また、格差の拡大や社会保障の切り下げへの不安に対し、年金一元化や最低保障年金の実現は「生活が第一」の民主党の象徴であり、政権交代の原動力でもあったのだと思います。

これら年金改革に対する民主党の基本的な方向と、今回の政府案提示とはどういう関係にあるのか、納得のいく説明が求められています。「年内にすべて結論が出てくる話ではない。そう拙速な話ではない。」(官房長官)と言うだけですまされる話ではありません。

陽だまりのような施設へ

今日は午前10時から、障害者支援施設「ひよりの丘」の開所式に参加しました。同施設は北九州市福祉事業団(山口彰理事長)が運営する施設で入所定員50名。生活介護事業90名。敷地内にケアホーム40名の居住棟を併設する総合的な施設となりました。

若松区にあった小池学園成人部が前身で、同施設が老朽化したため10年ほど前から移転新築を計画したものの、なかなか地元地域の理解をえることができず開所実現にたどりつけるか、永年心配されてきたのでした。

苦節十年、地元の理解も進んでようやく開所にこぎつけました。この間の関係者のご努力に心より敬意を表したいと思います。

障害があっても誰もが地域で自分らしく過ごし、入所施設などなくなってほしいという意見もありますが、しかし、入所施設が必要だという厳然たる事実があるのも現実です。

式典で北橋健治市長は「老朽化し多人数で居住されていたこれまで施設に比べて、二人部屋や個室も整備され、過ごしやすい環境になったと思います」と挨拶しました。

また北九州市自治総連合の中村会長は「地域も積極的に交流し支えていく」と地域の理解も進んでいることを強調されていました。

名前のとおり、日和りの良い日の日だまりのようなあったかな施設となるよう願わずにはいられませんでした。

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(写真は、開所式お祝いのくす玉わり)

北九州市難聴者・中途失聴者協会が創立30周年

高齢化や薬害、事故などで聴覚を失ったり難聴などになったりする中途失聴・難聴者の方は、いまや300万人とも言われます。しかし、聴覚の障害はなかなか外見ではわからないことから、それらの方々の社会生活には多くの困難を伴います。

そんな中途失聴や難聴者の当事者が、聞こえの保障を求めるとともに相談や交流をしながら、人生を有意義に過ごそうと活動を続けられているのが「難聴者・中途失聴者協会」の方々です。

北九州市では、この度めでたく創立30周年を迎えられましたので、今日は「全難聴九州ブロック福祉大会」の開催と併せて記念式典と交流会が行われました。

私も、お招きいただきましたので心からの祝福のエールを送りました。

実は、私が北九州市の難聴者協会の皆様と出会ったのは、もう20年近くも前のことでした。

以来、要約筆記ボランティア(当時)の公費派遣の実現をはじめ、FAXによる市政情報伝達や磁気ループの設置、耳マークの普及、要約筆記者の養成などなど、ご一緒に取り組み、一定の成果もあがってきました。

それでも、まだまだ課題は山積しています。

ご挨拶では、本市で防災情報を伝える「エリアメール」の実施を例に、小さいけれども切実で緊急な取り組みなどを、これからもいくつも積み重ねながら、聴覚障害のある方が何らの支障なく社会参加ができる「あたりまえの地域社会づくり」をさらにめざしてまいりたいものですねと私の決意も込めて申し上げました。

交流会では楽しい出し物もたくさんあり、わっしょい百万踊りや炭坑節まで飛びだして楽しい一時を過ごしました。

楽しくも頼もしい同協会の益々のご発展と皆様のご健勝を心からお祈りして会場を後にしました。

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(写真は、交流会のもよう)

新生児の連れ去り事件が発生

昨日の夜11時過ぎに病院局からお知らせがあり「これから緊急の記者会見をいたします」ということでした。

内容は、市立医療センターの産科病棟から生後4日目の新生児が何者かに連れ去られたというので驚きました。

警察の捜査の結果、新生児は市内のマンションで住んでいる男女の内、女性の態度を怪しんだ男性が電話をしてきたことで無事に発見され、事なきを得ました。

事件の詳細はなお捜査中ですが、まずは新生児が無事に母親の手に戻ったことに安心しました。

それにしても、なぜこんなことができるのか。

確認したところ、市立医療センターの産科病棟ではお見舞いに来た人にはナースセンタで名前などを記入してもらい、カードを首からかけていただく対応をしています。カードを掛けていない人には、看護師ができるだけ声を掛けて確認することとしていました。ナースセンターには結構人数がいるので、不審者が出入りすると発見されるのではないかというのです。

しかし、新生児は連れ出されてしまった。悪意を持って犯行をしようとすれば、それを完全に防止するのは難しいかも知れません。

今後、事件の把握と安全管理の検証を行った上で、廊下への防犯カメラ設置や、付き添い者・面会者の把握強化、看護師をはじめスタッフの見守り強化など、改善策の実施が求められます。

それにしても、大切な赤ちゃんが無事でよかった!

大津波による石巻市の惨状 

昨日、仙台に着き、夜は、3・11後全国のネットワークを活かしていち早く支援活動を開始した北九州市のNPOホームレス自立支援機構のメンバーと懇談し、現状と課題について語り合いました。

また会派の他のメンバーは、同じく仙台市を中心に支援活動を続けている北九州市のNGOロシナンテスの皆さんの拠点をおたずねして懇談しました。

明けて今日は、それぞれの団体の活動状況を実際に現地で学ぶこととしご案内いただきました。

私たちのグループは、仙台市の北に位置する宮城第二の都市・石巻市を訪れました。

石巻市も大きな被害を出した地域ですが、特に印象的だったのは、港に隣接する区域(例えば緑町、松並、南浜、門脇地区など)で、行けども行けども破壊された住宅街が延々と続いている惨状でした。

これほど広い範囲の住宅が一挙に破壊される姿は、長さ400キロにわたってプレートが動いた超巨大地震によるものに他ならず、今回の地震がいかにものすごいものであったか体が震える怖さを感じました。

被災し破壊された住宅が取り残されて、かろうじて住むことができる住宅もなお居住許可が出ていないため、全く人影はありません。「ゴーストタウン」という表現は、決して誇張ではなかったのです。

釜石市も石巻市も仙台市も、なお復興計画は確立していませんでした。浸水地域の居住をどう判断するのか、県が整備する護岸や堤防の計画が確定しないことなど、多くの未確定要素があり、まだまだ曲折がありそうです。

石巻市では牡鹿半島の蛤浜という地域で、NPOの支援でカキ養殖を復活させる産業復興支援の現場を見せていただきました。防災無線によるマイク放送が当初は役に立った震災当日の状況や、カキ養殖に復興の希望を見いだしていることや、NPOの支援に感謝していることなど、80歳になる地元地区長のお父さんから語っていただきました。

 

さて、北九州市は、釜石市を中心に、がれき処理や復興計画策定支援など必要な支援を継続する事にしています。派遣された職員さんたちは、ほとんど休まず、朝から夜遅くまで仕事をしているのが実情のようでした。皆さんの健康維持と、仕事上の課題に答えるために北九州市もさらなる気配りが必要だと感じました。

今回の訪問では、被災地の実情を確認し、息の長い支援を継続するとともに、釜石市などで学んだ防災教育など、今後の北九州市の地域防災計画に反映すべき課題を大変多く見つけることができました。

ご手配いただいた各地の関係者の皆さん、また準備いただいた仲間の皆さんにも感謝しながら、今回の被災地訪問を終えることとしました。

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(写真は、石巻市の状況。)

釜石市と大槌町へ

釜石市には午前9時前に着きました。実に38年ぶりの釜石市です。

学生時代のサークル活動の前後を利用して、ある時、三陸海岸北方の田老町から、途中ヒッチハイクをしながら釜石市を訪れたことがあるのです。田老町から、美しい海岸線眺めながら南下してきて、着いた釜石市は、当時まだまだ鉄の町として活気があったと記憶しています。

ヒッチハイクをスタートした現宮古市田老町には、すでにスーパー堤防が完成してそびえ立っていました。当時、私は町の人に「これは何ですか?こんなでかい堤防が必要なんですか?」とお聞きしたところ「昔なあ、ものすごい津波があってなあ。村全体が呑まれたのだ。だから堤防で防ごうとつくられたのだ。」とのお話しを聞き、唖然としつつも、そんな大きな津波が来ることが本当にあるんだろうかと信じられない思いがしたものでした。

大学に帰ってから、明治三陸大津波の記録などを読んでみました。そこには、山の上から眺めていると遠くの海が20メートルも盛り上がり、やがて村全体を飲み込んでいった等の記述があって強い印象に残りました。しかし、まさかそれほどの津波が、私が生きている間に再びあの三陸の町々を襲うなど考えたこともありませんでした。

 

JR釜石駅あたりまでは津波は襲っていなかったので、ごく普通の風景ですが、港方面へしばらく行くと一変。震災から半年たっているというのに惨状がひろがっていました。8700トンという大型船が岸壁に乗り上げている光景はメディアにもよく登場していますし、周辺の被災状況は理解していたつもりですが、現場に来てみるとやはり津波のパワーと恐ろしさを実感しました。

北九州市から支援に派遣されている東課長の案内で、鵜住居小学校・釜石東中学校にも行きました。

釜石市では、それまでの防災教育によって学校の管理下にあった小中学校の児童生徒約3000人の命がたすかりました。「釜石の奇跡」と呼ばれて称賛されています。

中でも、小中学生が、周りの保育園児やお年寄りにも気遣いながら自主的な判断で避難しつづけて学校の全員が助かった鵜住居小学校と、隣接する釜石東中学校は注目されました。

私は、その避難の実情を知りたいと思っていましたが、現場を訪れてみると、子どもたちは相当な距離を自分たちの判断で避難し続けていたのだということに感心しました。当初の予定避難所にとどまっていたのでは被災を免れませんでした。子どもたちは自分たちの判断で、もっと高台まで、さらに高いところにある石材所へと、状況を見ながら避難していました。「災害に上限はない、自分の判断で逃げろ。てんでんこだ。(自分たちそれぞれだぞ)」と教えながら、実際に訓練を続けてきた大きな成果でした。

釜石市の防災教育は、群馬大学の片田敏孝先生が永年指導されてきました。その片田先生は、北九州市の地域防災計画見直しの座長にもついていただいています。

その後は、がれきの中間処理作業を続けている現場を訪ねて、がれき処理の現状と、かかえる課題についてレクチャーを受けた後、隣町の大槌町へ。

ここでも町長さん以下、数多くの方々が亡くなり、壊滅的打撃を受けました。庁舎の正面の時計が津波が襲った午後3時30分で止まっていたままだったのに心が痛みました。

釜石市へ戻り、副市長さんと議長さんにそれぞれご挨拶した後、北九州市から派遣されている職員の皆さんと懇談。ご苦労をねぎらうとともに、いくつかの要望も聞いて善処することを約しました。

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(写真は、それぞれ釜石市海岸近く、鵜住居小学校、がれき中間処理の現場、大槌町役場)

ずいぶん久しぶりの遠野市

今日から会派として被災地を訪れることになりました。明日は、北九州市からも職員を派遣するなど復旧復興への支援を続けている岩手県釜石市を訪ねることにしていますが、現地に迷惑をおかけしないよう最初の宿泊地は、JR釜石線の途中・遠野駅がある遠野市とすることにしました。

かつて私は学生時代に岩手県下閉伊郡の岩泉町内でサークル活動をやっていたことがあるのですが、遠野はその時代に一度訪れたことがある町です。宿泊したわけでもなく、なにしろずいぶん昔のことですので、詳細な記憶は薄れてしまっていますが、当時も、歴史を感じさせる落ち着いた街並みであったと記憶しています。

昨年はちょうど柳田国男の『遠野物語』から100年だったのだそうで、歴史的伝承や民話などを中心に、活発な町おこし活動が進められたようです。散歩をしてみても、蔵のある景観づくりや散歩道の整備など、ハード面でもずいぶん工夫されている様子が見て取れました。やはり落ち着いた感じの良い町でした。

残念ながら、夜着いて朝早く出発ということで、市内をゆっくり見ることもできませんでしたが、機会があればまた訪れてみたいものだと思いました。  

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(写真は、遠野市の街並み)

イル・ディーボのカレンダー

校区体育祭に参加しておられた町内の方から、ボーカルグループ「イル・ディーボ」の小さな手作りカレンダーを頂きました。オペラを歌う力量がある男性4人組がポップスをこなすこのグループは、2004年にデビューしてあっというまに世界的人気を得ました。

地元でオペラに関わっておられるこの町内の方も、彼らが来日した際には親子でコンサートツアーに出かけられるほどの大ファンなのです。私もイル・ディーボのファンであることをご存じで、手作りでつくったからと手渡していただいたのです。

私は特にスペイン人のカルロスの歌が大好きで、すばらしく伸びがあり、バリトンとは思えない音域と圧倒的な声量には感服します。アメリカ人のテノールのデイビットも良いですね。一人ひとりがオペラでソロができるほどの実力を持ち、その力量を最大限発揮してポップスを歌い上げる、しかもみんなイケメンときているのですから、世界の女性たちに人気があるのも分かります。

そういえば最近、日本有数のテノールとして親しまれた五十嵐喜芳さんが亡くなられましたね。マリオ・デル・モナコと並んで、テノールってこんなにすごいんだと、若いころの私に感激を与えてくれた方でもありました。

時代は変わっても、音楽の原点は歌ではないでしょうか。最近は男性の本格的な歌声はなかなか聞かれなくなりましたが、イル・ディーボなど男性ボーカルグループがさらに活躍してくれればいいなと願っています。

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体育祭まっ盛り!

月も改まってスポーツの秋到来。という訳で、今日はまず、午前8時30分より連合北九州などが主催する「第2回ギラヴァンツ北九州応援!フットサル大会」の開会式に参加しました。酷く暑い時期に行われた昨年の大会で、無謀にも「試合」(遊びのはずでした)に出場した私は、翌日歩くのにも困難を来す結果となったため、今年は出場を辞退。

式後、地元に戻って同九時半からの三郎丸校区の体育祭に参加しました。実は同時刻には、お隣の寿山校区の体育祭も開かれていましたが、物理的にも参加不可能なため、やむなく不参加とさせていただきました。

わが校区の体育祭は、今年初めてメディアドームという屋内での開催となりました。同ドームは本来競輪場ですが、最近では多目的に活用できるようになってきました。

昨年の体育祭が雨模様となり、実行委員会では予定変更などに苦労したことから、天候に左右されないメディアドームで開催してみようと初めての試みとなりました。上履きが必要など制約もありましたが、参加された方々のお話をうかがうとおおむね好評でした。校区内わが第7ブロックチームは、男子リレーで一位となるなど健闘し、町内の年長者などから、盛んな声援を受けていました。

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(写真はフットサル開会式と、三郎丸校区体育祭での第7ブロックリレーの勇姿)

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