「 せらちゃんノート 城内一番から(市議会・市役所) 育て!子どもら 」

「歴史ある児童文化活動、幅広く資料を収集する」北橋市長が答弁

北九州市議会の決算特別委員会分科会では、9月23日に平成27年度の決算審査をしめくくる市長出席質疑が行われました。

私は今回、「本市の児童文化活動関係資料の収集保存」について市長にたずねました。

 

 90年前の「小倉児童芸術協会」が源流

 

実は、北九州市の児童文化活動は、その源流を探ってみると、90年前の大正15年(1926年)に舞踊家の黒田晴嵐や阿南哲朗が結成した、小倉児童芸術協会にさかのぼります。

会長には櫓山荘の主・橋本豊次郎が就任、事務局を大阪町の橋本組に置きました。

その年の3月2日に小倉堺町小学校の講堂で行われた発会式には、日本のアンデルセンと呼ばれた久留島武彦が講演、黒田晴嵐が踊りを披露し、背景の椿の絵は俳人杉田久女が協力して制作しました。(写真が発会式のもよう。北九州市立文学館『北九州の文学』2006年11月1日発行より転載)

HP小倉児童芸術協会発会式.jpg

夏休みには、当時、海岸にあった櫓山荘で林間学校も行われていました。

  

いとうづ林間学園は80年つづく

 

その後、昭和7年(1932年)には、久留島武彦の発議により、コドモノクニ到津遊園が開かれ、5年後には第1回林間学園も始まりました。その林間学園は、到津遊園が現在の市立いとうづの森公園となった今日でも夏の人気イベントとして続けられています。

このほか、到津遊園を退職した阿南哲朗による、北九州児童文化連盟等が設立され、これも現在まで活動が続けられています。

 

これら本市の児童文化活動は、口演童話(規模の大きい読み聞かせのような活動)や、絵画や舞踊、演劇や文芸、野外活動など児童文化全般にわたっているのが特徴で、子供たちの全人的な成長を願う先人たちの思いのこもった活動であったということができます。

 

小倉児童芸術協会発足から今年でちょうど90年、そして今も到津の森公園で続く林間学園は、来年で80年の節目を迎えます。

しかし一方、私はいま、それら本市の児童文化活動の歴史を振り返り、その意義を再確認することのできる関係資料などの散逸を恐れるものです。歴史を知り、資料もお持ちの関係者が高齢化しているのです。

 

「児童文化関係資料の収集保存を」

 

そこで北橋市長には「いま、小倉児童芸術協会関係資料、創始者の一人である阿南哲朗氏の幅広い業績の顕彰、久留島武彦とのかかわりや、中心拠点となった到津遊園や現到津の森公園にかかわる資料、つまり本市の児童文化活動にかかわる関係資料の収集と保存が、ぜひとも必要だと思うが、市長のご見解をお伺いしたい。」とおたずねしました。

 

「幅ひろく資料収集を進める」と市長

 

北橋市長からは「世良議員から、児童文化関係資料の収集保全の提案をいただいた。

本市では大正期から児童文化全般にわたって様ざまな活動が進められてきた。黒田バレエスクールにつながる黒田児童芸術協会や、到津の林間学園はあまりにも有名である。

阿南哲朗氏は、口演童話の中心的存在であり、児童文化連盟の初代会長など、多岐にわたる活動で児童文化向上に終生をささげた功績が高く評価されている。本市児童文化発展の礎を築いた人物である。

本市では文学館で阿南哲朗の資料を収集してきた。垣根をこえた幅広い人物像がうかがわれる。

また、児童(子ども)文化会館の生みの親として、同館には阿南哲朗コーナーとして、資料を展示している。

平成30年度に開館予定の「子ども図書館」において、本市ゆかりの児童文学者の顕彰施設を設置する予定である。

まずは作家の遺族や児童文化に関する団体の協力をえながら、小倉児童芸術協会や、到津の森公園の林間学園料など、児童文化活動をふくめて幅広く資料の収集を進めてまいりたい。」

と答弁がありました。

今後、関係者ともご相談しながら、貴重な本市の児童文化関係資料の保全と活用の途を拓くことができるよう取り組みを進めたいと思っています。

最近の記事


月別アーカイブ