「おもしろい本: 2001年1月」アーカイブ

マーブル・アーチの風

20otona.jpg デパートのクリスマス商戦も真っ盛りのことだし、今回はコニー・ウィリスの短編集から近未来のクリスマスを楽しんでいただきましょう。
 まず『ニュース・レター』
 アメリカではクリスマスに家族などの近況を知らせる「ニュースレター」を交わすのがかなりポピュラーな習慣のようです。
 舞台はアメリカのデンバー。11月の感謝祭の夜、ニュースレターのネタを何にしようかと主人公のナンがママと話し合っていた時、妹のスーアンが新しい彼氏を連れてきます。
スーアンは「すべての人間の中で、男の趣味が最低」。ところが今度連れてきたのはなぜか「まともな男」だった。
 まわりを見渡すと何かが全ておかしい。いつものクリスマスにはみんなが「不作法で自分勝手で意地悪になる」はず。それなのになぜか、みんないい人になってる!実は、彼らはエイリアンに乗っ取られていたのでした。主人公達の必死の闘いが始まります。
 でも一体なぜ闘うの?失業率は低下し、車上荒らしも減少した、落ちこぼれは学校に戻り、脱獄囚が自首した。マイナスの影響は一切ないのに。
 でも結局、闘いには勝利したようでした。そしていつものクリスマスのように、ショッピングモールには不機嫌な買い物客がごった返し、スーアンにはテロリストの彼氏ができ、抗うつ剤の売れ行きが増加し、ナンは車にひかれそうになって...。街には完璧にノーマルな日々が戻ってきた。(まるで星新一のSF小説のようでしょう?) 
もう一つの『ひいらぎ飾ろう@クリスマス』は、クリスマス飾り付けの外注を請け負う近未来の会社員リニー・チャンを主人公にしたSFコメディ。
 チャンは、高級住宅街に住む女性顧客の自宅でフルカラーのホログラムを出現させて700種類のテーマからあらゆるクリスマスの飾り付けをお客に提案します。「ロミオとジュリエット」「ラスベガス」「宇宙旅行」「東方の三博士」のクリスマスなどなど、ありとあらゆる楽しいテーマのクリスマスが出現。「象は忘れない」(象は共和党のシンボル)など、支持政党に合わせたプランも。「もちろん民主党バージョンもございます」というのには笑えます。
 手の込んだ「お見合い計画」が会社乗っ取りへの猜疑心を生んでドタバタを繰り返したあげくに、クリスマスは「赦しと寛容の時なのだ」と締めくくるのは、やはり西洋社会でのクリスマスの原点を見る思いがします。
 この短編集ではこのほか、時の流れと歴史の記憶をロンドンの地下鉄を舞台に描いた表題作「マーブル・アーチの風」。そして、チャネリングの怪しさを、ニセ科学を攻撃し続けたメンケンをチャネリングで登場させて暴くという手の込んだ仕掛けで描いた「インサイダー疑惑」。
 どれも楽しく、現代SF界を代表する人気作家の魅力を満喫できる作品です。早川書房・刊

朗読者

19otona.jpg第二次世界大戦時のドイツでヒトラーの暗殺計画は実に40件以上ありましたが、命を賭して実行されたそれらは、不幸にしていずれも成功することがありませんでした。
そのうち最も有名なのは1944年7月20日のドイツ軍幹部によるヒトラー爆殺未遂事件でしょう。事件の後、ゲシュタポは1500人を逮捕200人を処刑し、徹底的な報復を行い、クーデターはついに終息しますが、ドイツ国民の大多数はというと、この暗殺未遂事件に対して激怒し、この狂気の独裁者を依然として支持し続けたのでした。でも、そのとき一体誰が正しい判断と行動をとることができたというのでしょう。

本書の主人公ミヒャエルは15歳。彼を偶然に介抱してくれた母ほども年の違う女性と知り合い恋に落ちます。深い関係は続き、その女性ハンナは合う度にミヒャエルに本の朗読を求めます。ある日ハンナは突然姿を消し、数年後、法学部の大学生となったミヒャエルは、ナチ時代の強制収容所をめぐる裁判の法廷で被告として罪を問われている彼女と出会うことになります。ハンナはかつてナチスによる強制収容所の看守だったのでした。
逮捕されたハンナは、囚人を死なせることがわかっていて「選別」したのかと尋問されて、裁判長に「あなただったら何をしましたか?」と問いかけます。
ミヒャエルは裁判の過程でハンナが実は文盲であることに気づきます。彼女は、文盲を隠すために出世を捨て、職を変え、看守になったのではないか?収容所での態度も、それを隠すためだったのか?
有罪となったハンナは刑務所に送られますが、ミヒャエルは本を朗読したテープをハンナに送り続けます。18年後、恩赦を受けたハンナはミヒャエルが迎えにいく出所直前に命を絶ちます。

かつて愛した女性が戦犯として裁かれる時、ナチスドイツの犯罪とは一体何だったのか、そして人々はそれをどう裁けば良かったのか、人は一体どのような態度をとることができたのだろうか、戦争犯罪と人々との関わりを図式的とらえずに、その苦悩を率直に描いたことで、本作品は高い評価を得ました。

日本軍部の暴走を許し、日本国民やアジアの人々に塗炭の苦しみを強いた歴史を持つ私たちも、戦時下で狂気のプロパガンダに洗脳されず人としてどのような態度をとることがができたのか、謙虚にふり返ることが求められているのかもしれません。
ついでながら、本作品を読んでいて、訳文学とはいえ「静けさ」や「理性」といった共通する要素があるのでしょうか、シュトルムの『みずうみ』など、かつて親しんだドイツ文学のいくつかを思い出しました。
松永美穂訳  新潮文庫刊 

チームバチスタの栄光 

18otona.jpg一昨年でしたか、産科の医師不足問題で、ある病院を訪れて院長先生とお話ししていたとき、院長先生の下に一通のメールが届いていました。現在はアメリカの病院に勤務する北九州出身の医師からで「日本に帰って医療機関に勤めたい。私の職歴・研究歴は以下のとおり」など北九州で働きたいとのオファーでした。
私は「帰ってきてくれるのなら、アメリカからでも優秀なお医者さんを確保できればどんなに良いだろう」と思いました。同時に、その場合「医師の力量って、どうやって量ることができるのだろう」と一抹の不安も覚えたものでした。

さて、この物語の舞台は「東城大学医学部付属病院」。同病院では心臓移植の代替え手術である「バチスタ手術」の権威・桐生恭一医師をアメリカの専門病院から招聘して、成功率100%を誇るチーム・バチスタが始動しました。ところが3例連続して術中死が発生。危機感を抱いた病院長の高階は、神経内科「愚痴外来」担当の万年講師・田口公平を内部調査の責任者に任命します。
田口医師はさっそく調査を開始、しかし調査は難航。そこで田口医師の助っ人として登場するのが、無遠慮きわまりないロジカルモンスター・白鳥圭輔、これが厚生労働省の技官というのだから傑作です。白鳥技官は、その強烈なキャラで周囲をかく乱しつつ真相に迫ります。
鳴り物入りでアメリカから招聘されたバチスタ手術の権威・桐生医師は、実はもはや手術をしてはいけない体だった。それを必死に支える義弟。事件は、その隙間を巧妙に狙ったある人物による殺人だった。
いずれも個性的なキャラクターを持つ人物が次々に登場し、ある時はコミカルなタッチで病院内の人間模様を描きながら、またある時は、著者が現役の勤務医だけに、リアルな手術シーンなどを織り交ぜながら、殺人事件の究明が進んでいきます。
果たしてその犯人は? この後は、ぜひ本をお読み下さいね。

我々の地域の病院にも、特にがん治療の先進化を担う医師など、多くの優秀な医師が増えてほしいものですが、こんな事件だけはおきて欲しくないですね。

もちろんこれはフィクション。この作品は2005年の「このミステリーがすごい大賞」を受賞した作品です。現在、文庫本となって発売されているほか(予想通り?)映画化が進められています。強烈キャラの白鳥圭輔役は阿部寛さん、田口公平は女性医師になって竹内結子さんがつとめるのだとか、さてどんな映画になるのでしょう。

宝島社・刊

夏の光

17otona.jpg この夏、大学時代の友人たち10人ほどで京都旅行をしました。保津川下りの舟ではしゃぎ、嵐山渡月橋の上を浴衣がけで夜風に吹かれながらそぞろ歩きをしたりしました。知り合ってからもう35年以上にもなるのです。京都の町を歩く友人たちは、みんなあの頃の輝くような笑顔にかえっていました。

「この写真を写した時の純子も、輝くような笑顔を浮かべていた。あれはもうはるかに遠い場所だ。いったいどれくらいの距離を、自分は歩いてきたのだろう。」 
物語の主人公で証券会社のアナリスト・宮本修一は、財務省で高校時代の親友・新聞記者になった有賀新太郎と20数年ぶりに再会します。
 高校三年生の夏、ともにボクシング部に所属していた有賀、恋人だった同級生・純子たちとの夏の海の思い出。そして1月後の純子の自殺。何も言わず傷つき離れていく有賀。修一のいらだちと喪失感とともに時が過ぎていきます。
 良識派エコノミストの修一は、短期国債の増発をめぐる経済方針をめぐって議論が続く中、再会した経済記者の有賀から助けられます。友情の証のように。でも有賀の友情はそれだけではなかった。フィブリノゲン製剤輸血によるすでに末期の肝臓ガンのため意識不明に陥った有賀の手紙によって、あの夏の出来事のすべてが明かされていきます。
 すべてが過ぎ去り、とても遠いところに居たはずなのに20数年前の「あの事件」の真実が明かされると 、そこに実は「光の中にをずっと飛び続けていたいたいと願っていた、あの頃の自分たち。」が居ることを改めて発見する、という仕掛けにこの物語はなっているのですね。
 そういう意味でこの作品はやはり「青春小説」に分類されるのでしょう。

 ボクシングがマイナースポーツの扱いをされはじめて久しくなりますが、黄金期のプロボクシングに(テレビで)親しんできた人間の一人として、ボクシング部のライバル同士という作品の題材にも私は惹かれました。きっと著者の回りにボクシング部の友人などがおられたのでしょうね。
 また、証券会社アナリストの主人公が、親友に「あまりに単純だな」と言われながらも「人の幸せにダイレクトに結びつく経済」を意識し葛藤する姿は、きっと経済新聞の記者としての著者の日常の心の姿なのでしょう。
 ストーリーの細部には若干不自然さを感じないではありませんが、この殺伐な時代に「折れない心」「友情」「良心」といった「心の内側」を描こうとした作者の純真な魂に感動します。
ポプラ社・刊

テムズのあぶく

16otona.jpgあなたは最近、中高年をテーマにした小説、それもすてきな恋愛小説が出始めていると思いませんか?今日のこの一冊、ロンドンはテムズの河畔・ドックランドがその舞台...(何だか「美の巨人たち」小林薫さんのナレーションのような感じ?!)
物語は、ロンドンで演劇の演出家として一人暮らしをしている46歳の女性・百瀬聡美と、重電機メーカーの駐在員として派遣されてきた51歳の男性・高岡正雄とが出会うところから始まります。ともに過去に結婚歴がありつつも、現在は独身生活をしているのですが、ロンドンで偶然に知り合い日本語で語り合いながら次第に接近し愛し合うようになっていきます。二人の夢のような愛の時間が、イギリス郊外やナポリへの旅行などもちりばめながら描かれていきます。(ここからはこの本のハイライトですから、詳しくは省略。じかにお読みになって下さいませ!結構ベッドシーンも多いので「大人向き」としておきましょう。)
しかし、高岡は程なく進行性膵臓ガンを発症。死を宣告され余命幾ばくもない高岡はついに日本の母の元に帰国して死を迎えます。墓参に訪れた聡美に高岡の母は聡美への愛つづった正雄の最後の手紙を手渡し、聡美は再びロンドンのテムズ河畔へと帰っていきます。
テムズ川に浮かぶ二つのあぶくが出会って、川上から川下へとくっついて流れていたのに、また一つに。人生の川下に到った中高年の夢のような恋愛と人生のはかなさを「テムズのあぶく」に作者は象徴させています。

恋愛小説というと、どうしても青春時代の若者むけが主流でしょう。でも我々(中高年)の世代にとっては今さら10代や20代の青春を題材にされてもねえという気がします。その点、作者の武谷牧子さんは私と同じ1975年に大学卒。かっこ良い慶応大生と、神田川周辺をうろついていた貧乏学生の私とではずいぶん違いますが、何と言っても同じ頃青春時代を過ごした安心感がありますね。(文中に「学生街の喫茶店」のメロディを思い出すシーンもありますよ。)
第1回日経小説大賞を受賞した本作品を「ありきたりの恋愛小説だ」と評するむきもあるようです。しかし、輝いて見える女性・聡美と出会った高岡が忘れかけていた青年の時代を思い出すかのように心をときめかせる様子をはじめ、お互いに時を重ねてきた分別を持ちつつ心惹かれ愛し合うその後の展開も、あえて高岡の死を取り込んだ点も「人生の川下での最高の恋」を描いたという点で、むしろ新しい物語であると思います。中高年を意識して、これからますますこうした小説群が生まれてくるのでしょう。
「こんな恋愛できれば良いだろうねえ。でも現実にはありえないよなあ」って?そう。この恋愛小説はきっと大人のためのファンタジーなんですね。日常の「ひん曲がった現実」のことなど考えずに純粋に愛の物語を楽しめば良いではありませんか。
ところで実は私は、かつて海外視察でこのドックランド地区を訪れたことがあるのです。寂れていた港湾地域を近代的なオフィス街などに再生した成功例として見学に行ったのでした。その時は、こんなにテムズ川が近いと思いませんでしたし、こんなすてきな恋愛小説の舞台となろうとは思いませんでしたが、この作品を読んでいてなんだか懐かしい気がしました。いつかもう一度訪ねることができたら楽しいだろうなと思いました。もちろんプライベートで。
本書は日本経済新聞出版社刊。

花はさくら木

15otona.gif先日、九州国立博物館で開催されていた「若冲と江戸絵画」展を見に行きました。江戸中期に独創的な世界を切り拓いた伊藤若沖の絵をぜひ見たいと思っていたので、4万3千個のマス目で描かれた「鳥獣花木図屏風」やユーモラスな「猛虎図」などに出会って感激しました。若沖をはじめ、佐賀の高僧・高遊外売茶翁、与謝蕪村、池大雅なども活躍する「江戸中期って何ておもしろい時代なんだ!」と思っていたら、たまたま書店で購入したこの「花はさくら木」は、まさにその時代を題材にした長編小説でした。

舞台は京都。物語は仙洞女院御所での春の「ひいな遊び」からはじまります。若く美しい二人の女性。一人は伏見の船荷役を一手に取り仕切る北風組の一人娘、実は対馬からさらわれてきた淀君の末裔で豊臣家再興のシンボルとして陰謀の渦に巻き込まれていく菊姫。もう一人は、時の桃園天皇の健康がすぐれず崩御近しという状況にあって、女性天皇として即位せざるをえない運命にある智子内親王。
その昔、秀吉が開いた醍醐寺の花見をしのぐかと思える大宴会を開く北風と鴻池。もちろん花見の宴席周辺には若沖や売茶翁、蕪村などにぎやかな顔ぶれも見えます。
密貿易で勢力を拡大してきた大阪・鴻池への圧力を強め、北風組を排除した上で提携を画策する幕閣・田沼意次。その命を受けて京に乗り込んできた信頼厚い部下・青井三保は、醍醐寺で行われた花見の席の帰り道に菊姫と間違って、こっそりと参加していた智子内親王を拉致してしまいます。しかし気丈で聡明な内親王は動ぜず、仲良しの菊姫を呼びにやることにします。舟から落ちたところを偶然に青井に助けられた菊姫が彼を慕っていることを知っていたからでした。
理知的で戦略家である田沼意次の陣頭指揮の下、青井らは北風組との闘争を繰り広げ、ついに勝利します。北風組は排除され鴻池は屈服、豊臣家再興の野望も阻止されるなかで桃園天皇は崩御、智子内親王は即位し後桜町天皇となります。菊姫と青井は中国へと旅立っていきます。

恋あり活劇あり、陰謀や権力闘争も描かれたこの作品は昨年の第33回大佛次郎賞を受賞しました。鞍馬天狗などで知られる大佛次郎賞にまことにふさわしい時代小説だといえるでしょう。
主人公の二人の女性がとても可愛らしく、また「賄賂政治家」として有名な後の老中・田沼意次が、知略に長けた好人物として描かれているのも楽しいですね。実は「田沼悪人説」は彼を追い落とした政敵が流布したもので、農本主義から重商主義へと転換をはかる意次の先見性や自藩での改革を推進した実像は近年高い評価を受け始めているようです。
今年は暖かい冬でした。桜のたよりが聞こえる頃、女院御所の雛遊びからこの楽しい時代小説の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。朝日新聞社刊

美酒楽酔「飲めば天国」

14otona.gif新しい年が明けてお屠蘇でお祝いをされた方も多いと思います。そこで今回はお酒の本のご紹介を。
この本のもともとの出典である『世界の名酒事典』が世に出たのは今から30年前だとか。次第に円高がすすみ、世界からいろいろな種類のお酒が輸入され始めた時期にあたります。飲んで酔うことに重きが置かれた時代から、飲み手の世代交代がすすんで、人々がお酒を飲むことを楽しみとする時代へ社会が変化したことの現れでもありました。
でもそんなことはともかく、この本に登場する「飲み手」たちの飲み方が楽しいのです。特に文士の皆さん方のはおもしろい。
命をかけて飲む迫力の開高健、「酒の名前は相撲のしこ名と感覚が近い」と語る丸谷才一、戦前の未決房で砂糖をなめ続け戦後は甘いトカイワインを飲み続けた埴谷雄高、ともに「小説を書くには洋酒の方が多彩でイメージをふくらますことができる」と語る阿刀田高と北方謙三、「酒は飢饉や戦争と反対の極にある。いうなれば豊かさと平和のシンボルにほかならない」と説く陳舜臣。確かになあ、アメリカを中心とする国際政治の失策が背景にあるとはいえ、最近のイスラム圏での激しい宗教対立を見ると、そこに酒があったらこれほどの対立があったろうかなんて考えてしまいます。
日本の知識人は「酒の文化に無関心だった」と指摘もありますが、5章では「酒の本」の世界の紹介や「酒の戦後史」についても掲載され、酒と文化を探る真面目な試みもなされています。
グラスを持つ開高健・吉行淳之介・遠藤周作の各氏を描いた表紙も楽しい和田誠さんの装幀。
さて、読んでいた私も、年末に仕入れた安い赤ワインの栓でも開けたい気分になってきました。(講談社・刊)

あなたの中のサル 

13otona.jpg今年は戌年なのに、のっけからサルのお話で恐縮です。私が子どもの頃『がんばれゴンベ』という園山俊二さんのマンガがありました。お山からでてきた子ザルが、人間社会に暖かく包まれて暮らす楽しいマンガが大好きでした。ゴンベくんは日本猿の設定でしたが、姿形や名前から本当のモデルはチンパンジーだったのではないかと思います。最近でも、テレビでチンパンジーの子どもが人気です。

その愛らしくて平和なチンパンジーのイメージが、1970年代以降、研究者の世界では変わって行きます。平和的な生き物だと思われていたチンパンジーが、実は「殺し合う類人猿」である側面が発見され続けたからです。
ここから進化生物学者らは「人間も一皮むけば恐ろしい怪物なのだ」と人間の残酷さや暴力性を証明する根拠だと主張するようになります。「人の善意などまやかしにすぎない!もともと人間は利己的な生き物なのだ」とも。

しかし今度は、20世紀になって知られるようになった同じ類人猿のボノボがこうしたイメージを覆します。
著者によれば「ボノボは、健康的な性欲を持つお気楽な類人猿だ。平和を好むボノボの性質は、霊長類はみんな流血好きだという観念を裏切っている。ボノボは仲間に共感することで、相手の欲求や必要を理解しその達成を手助けする。」平等で争いを好まず、仲間を殺すこともほとんどないボノボ。
「殺し合う類人猿」チンパンジーと「平和で思いやり深い類人猿」ボノボ。さてあなたや私は一体どちらを受け継いでいるのでしょう?
「鏡に映った自分を素直に見たほうがいい。」「どちらも鏡のなかにいるのだから」。著者の結論です。

残酷な犯罪や戦争についての連日の報道、あるいはむき出しの競争主義礼賛に出会うたびに「人類の性」を感じさせられて、我々人類には「連帯や平和、愛と共存」などの言葉とはますます縁遠い存在になりつつあるのではないか。そんな不安に駆られるとき、「平等で平和な社会、他者への共感と思いやり」といった性質が人類のもう一つの進化の産物であることを知ると「まだまだ人間社会、きっと捨てたものでもないはずだ」と希望を持つことができるような気がします。

世界で最も豊かな国アメリカが、健康面では世界有数のお粗末な国になった原因には、むき出しの競争主義の結果、激しい格差と不平等・ストレスがある。「仲間と連帯できないと人生は耐え難いものになる」
類人猿と人間の世界の接点を探しつつ、現代社会のあり方をも考察する動物行動学者の指摘に、読者は大いに刺激を受けることでしょう。

表題の「APE」は本当は「サル」ではなくて「類人猿」。著者は、オランダ生まれ。世界有数の霊長類研究者として知られる。エスプリのきいた文章も楽しいですね。
藤井留美訳 早川書房刊

職業外伝

12otona.jpg子どものころ、私たちが遊んでいた路地にもよく「紙芝居のおじさん」がやってきました。お話が始まるまえに自転車の荷台の小さな木箱からおじさんがとりだす水飴をみんなで買うのが、子どもたちの楽しい決まりでした。木枠の中の絵を引き抜きながら声色を使ってセリフを語る紙芝居のおじさんの口調は、今も私の記憶に残っています。
 そんな紙芝居のおじさんは、数年の内に何人かが変わりましたが、ある時、なじみのおじさんの一人がいつのまにか自転車屋さんになっていたので驚きました。
 昭和30年代前半まで全国で1万人を数えたとされる街頭紙芝居師も、テレビの普及などで激減。現在では、最後の一人となってしまったようです。
 本書はその街頭紙芝居師をはじめ飴細工師・幇間・見世物師など、滅び行く日本の伝統的職業についている人々の姿をルポしたものです。
 著者は昭和33年生まれですが「街頭紙芝居を見たことがない」そうなのです。「ボクにしてみれば歯噛みするほど悔しい痛恨事だった。」(著者)
子どものころ、紙芝居と親しんできた私はまだ幸せだったのでしょうね。
 祭りの露店で商うテキ屋にしても、賭け将棋を生業とする真剣師にしても、この本で取り上げられた職業は、これからの若者の職業としてはとうていお勧めできませんね。
けれども、滅び行く運命であるとはしても「天職」を得てそれを全うしようとする彼らの生き様は、若い人にも大いに参考になると思います。
 寄席をこよなく愛する「不良中年」の著者らしく、落語や能、三味線音楽など、日本の伝統文化についての知識も盛り込まれて楽しい本となっています。

■出版社:ポプラ社

ダ・ビンチ・コード

11otona.jpgキリストが処刑されるまでをリアルに克明に描いたメル・ギブソン監督主演の『パッション』という映画がアメリカで評判となった時、他の宗教を否定する主観的独善的ブッシュ型キリスト教史観がさらに広がっていくのではないかと危惧しました。

そしてキリスト教を題材にしたらしい『ダ・ビンチ・コード』という本が、アメリカで大きな反響を呼んでいると聞いて「アメリカは偏狭なキリスト教の熱にでも浮かれ始めているのか知らん」と思ったのでした。
でも手にとって少し読むと「おやぜんぜん違う話じゃないの」。

舞台はパリ・ルーブル美術館。館長のソニエールが何者かに殺される事件から物語が始まり、殺人の疑いをかけられたハーバート大学教授ラングトンはソニエールの孫娘と一緒に事件に隠された秘密を解き明かしていきます。

どうやらソニエールは、原始キリスト教の色合いの強い秘密結社シオン修道会の総長。過去の総長には、レオナルド・ダ・ビンチをはじめ、ボッティチェリ、ニュートンなどが名を連ねているらしい。

「聖杯とは聖なる女性や女神の象徴なんだよ。もちろん、それは教会によってほぼ完全に抹殺されてしまった。」「イエスは男女同権論者の草分けだ。教会の未来をマグダラのマリアの手に委ねるつもりだった。」

キリスト教成立期以来、カトリック教会が葬り去ろうとして果たせなかった原始的伝承や人間的なキリスト像、それを延々と守り抜いてきたという秘密結社の実像が、ダ・ビンチの「最後の晩餐」に込められた暗号解読をはじめ数々の謎解きをとおして浮かび上がります。

奇怪な宗派の攻撃やどんでん返しも絡んで、まるで映画のようなサスペンス仕立てについ読み進んでしまいます。
私は、出張の時に上巻を買って機上の人となったのですが、途中で読み終えてしまい、旅先で下巻を探し回ったほどでした。
単なるベストセラーではない「キリスト教ブーム」とでもいえる社会現象を巻き起こした本書の刊行は、まぎれもなく04年読書界の事件でした。

■出版社:角川書店

芭蕉紀行

10otona.jpg数年前、立石寺(山寺)に立ち寄ったことがありました。『閑かさや岩にしみいる蝉の声』芭蕉の俳句で有名なお寺です。ちょっと立ち寄っただけなので、石段を登ったところにある蝉塚まではいけませんでしたが、奥の細道の有名な俳枕である東北のお寺で感慨にふけりました。

亡くなった私の父は、晩年「芭蕉の跡をたどってみたいんだよ」と言っていました。自分なりの芭蕉論を書こうともしていたようでした。しかしその実は、病気も手伝って旅にでることをおっくうがって、結局、芭蕉の跡をたどる旅は実現することはありませんでした。でも「きっとこの山寺には来たかっただろうな」と痛切に感じたものです。

著者の嵐山さんは、その奥の細道の跡をたどり、立石寺では「蝉とは亡き主君・藤堂良忠(蝉吟)のことだ」と気づきます。『芭蕉の句には秘密の心が埋められている。』のです。

奥の細道二句目のこれまた有名な句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』も、魚屋に並んでいる魚の目がぬれているように感じたのだと、著者は考えます。同時に魚は、別れていく門人・杉風のことだと推理するのです。(私は、この場面で杉田久女の『秋きぬとサファイア色の小鰺買ふ』の句を思い出しました。魚は確かに水の中の魚ではありませんね。) 

著者の嵐山さんは、中学3年生からの「芭蕉性感染症」患者。この本では芭蕉全紀行をたどり、実に自由に芭蕉を感じながら、その虚と実、秘密だらけの芭蕉の旅を解き明かしつつ、俳諧の妙を楽しんでいます。

原典はJTB紀行文学大賞を受賞したというだけに、芭蕉をたどりながら美味しいものを食べ、酒を飲み、地霊を感じる実に楽しい旅行案内でもあります。

父が亡くなる前にこの本が刊行されて読んだとしたら、ひょっとしたら重い腰を上げたかもしれないのになあ、と思ってしまいました。

■出版社:新潮文庫

八代目橘家圓蔵の泣き笑い人情噺

9otona.gif新春の落語は「えー、一陽来復いたしまして、まことにおめでとうございますな」なんて始まりますが、最近のテレビでは落語もなかなか放映されなくなって、こんなせりふもあまり聞かれなくなってきましたね。

落語をはじめとする日本の伝統芸能にとっては厳しい時代が続いています。忙しいテレビ時代に、演芸場に出かける人が減ってしまっているのでしょう。しかし、落語が今日まで続いているのも、テレビあってのことでもあります。テレビに落語家が出演することがなかったら、この伝統芸能がつづいていることは難しかったかもしれません。

この本は、昭和40年代に「月の家円鏡」としてテレビ・ラジオで知られた落語家・橘家圓蔵さんの人生を評論家の小久保晴行さんが聞き書きしながらまとめたものです。

私も「笑点」の大喜利などに出演していたり、タレントとしてテレビに出演している円鏡さんを見ていました。立川談志はその活躍ぶりを「鳥が鳴かない日があっても、円鏡の声がラジオから流れない日はない」とあきれたそうです。

一方で「テンポとアドリブは天下一品だが、落語はもうひとつ」とも言われてきました。若手落語界の四天王といわれ、おもしろ落語の第一人者といわれながら、落語家としてはどこか評価が低い。柳家小さんという巨星がおち、志ん朝という才能が逝った今、落語という日本を代表する伝統芸能を受け継ぐのは誰か、といった時、月家円鏡の名が挙がることは少なかったようなのです。

「でもいいじゃねえか。」「あたしはどんどんぶっつけていく。サゲを最初にしゃべっちゃうこともあります。」「私は落語をやる。おもしろい落語を一生懸命やろう」。小理屈なんかどうでもいい、みんなが喜ぶ落語に徹して進む、それも芸の道だ。

そう言いつつ、落語という財産がたりないことに気づいた円鏡さんは「99%追い込まれて」独演会の開催にふみきります。後に橘家圓蔵を襲名、独演会を中心にした落語研鑽は以来20数年、芸暦50年を越えて、押しも押されぬ代表的落語家として円熟期を迎えようとしています。

幇間(たいこもち)で活躍した後、身を持ち崩した父を持ち、貧乏のどん底から、橘家円鏡に弟子入り、後、昭和の大名人・桂文楽の内弟子となりラジオ・テレビで活躍してきた八代目・圓蔵さんの泣き笑い人生。その「ヨイショで歩んだ50年」に、えー少々の間おつきあいのほどを...。(04年1月)

■出版社:イースト・プレス

平家

8otona.gif私は元来、平家が好きなんですね。
以前、永井路子さんの『波のかたみ』(中央公論社刊)を読んで、平家の側から歴史をながめると天下の大悪人のように描かれてきた平清盛が、時代を切り開いていく人物として素敵に描かれているのに感心したものです。

池宮さんの「平家」は清盛が、藤原官僚群や後白河上皇の権謀術数と闘う改革者として描かれています。  平成13年4月から日本経済新聞に連載された作品だけに、抵抗勢力と闘う改革者としての清盛像が強調されすぎているきらいを感じつつも、平家が躍進して滅びにいたる過程を、壮大なスケールと緻密な考証で描いていく池宮さんの筆力にひきずられて読み進みます。

「平家物語」は鎌倉期に原本が成立し「ゆえに、清盛の事績は悉く悪意を以て描かれた。史料史実とはそういうものである。」「滅亡した平家の象徴的存在である清盛は、その後、長く続いた源氏の時代に大悪として扱われた。我が国の歴史は、人物像を善と悪とにきめつける弊がある。」と池宮さんは述べています。

時の支配者に都合の良い姿に描かれた人物を、決めつけることなく、時代を開いた人物像として歴史の中で正確に位置づけようとするのは大変大事な仕事だと思います。

平家は海を支配する一族。太宰府を抑え、中国(宋)と貿易を行い、海の高速道路である瀬戸内海を抑え活用することで、力を蓄えていきました。  もし、東国の源氏にたまたま負けてしまわず、勝ち残っていたら、今頃は大阪か神戸が日本の首都で、国際的にも開けた貿易国として大いに世界を驚かせていたかも知れない、などと考えるとワクワクしませんか。

歴史を学ぶ高校生などには「平家の滅亡は1185年、鎌倉幕府成立は1192年」などと機械的にテストするより、こんな歴史小説を一冊読むという宿題を課した方が何倍も役に立つのにと思ったりするのです。

■出版社:角川書店

オーケストラがやって来た

7otona.gif著者の山本直純さんは2002年6月18日に亡くなりました。
「大きいことは良いことだ!」のCMで全国に知られるようになった作曲家・指揮者の山本さんは、トレードマークのヒゲと大げさともいえる身振り手振りで一躍お茶の間の人気者となりました。
テレビで「オーケストラがやって来た」という番組を長年つづけてこられたのを、私も知っていました。でも私は、どこかあの大げさなジェスチャーに違和感を覚えて「あまり感心しないよ」という目で山本直純さんという音楽家を見ていたような気がします。

でもそれは誤解だったのかもしれない。この本を読んで強く思いました。

山本直純さんという人は、もちろん天性の明るさとエネルギッシュな行動で人々を音楽に、オーケストラに引きつけ続けたのでしょうが、彼はあえて意識して人々にクラシック音楽を親しんでもらうための努力をもつづけてきたのですね。

本の前文で、いまや世界的指揮者となった小澤征爾氏が同じ斉藤秀男先生の兄弟子である山本直純さんから「音楽のピラミッドがあるとしたら、オレはその底辺を広げる仕事をするから、お前はヨーロッパへ行って頂点をめざせ。」といわれたと述べています。この本も、そういう仕事の一つ。
第二章コンサートホールへの招待という章では、チケットの買い方から席の座り方まで楽しく述べてくれています。出会った指揮者たちとのエピソードや、名曲との出会い、そして奥さんとの出会いまで。

小澤征爾指揮のウイーンフィルのニューイヤーコンサートなどはとても有名になりましたが、まだまだクラシックの世界はどこか遠い世界のような感じがある人も多いかと思います。
山本直純さんはもうこの世にいないけれど、この本を読めばきっと肩の力をぬいてコンサートにでも出かけてみようかという気になれること請け合いです。

なぜ牛は狂ったのか

6otona.gifBSEいわゆる狂牛病の日本での発生は、消費者や酪農家・関係事業者をパニックに落としいれました。私は「ついにおそれていたことが起こったか」と強く感じたのを覚えています。

日本でのBSEの発生は、おそらく汚染された肉骨粉を飼料として牛に与えたのが原因であろうと思われますが、その感染ルートはいまだに明らかになっていません。

BSEは人に感染して致死的な神経難病である新型クロイツフェルト・ヤコブ病の原因となると考えられています。
原因となる病原体はプリオンといわれるタンパク質で、中枢神経を冒し人格を奪い、意識そのものまで破壊する。根本的治療法や予防法もまだ見つかっていないというので、いまだに人々に多大な不安を与えています。

日本でこれからどれだけのBSEが発生するのか、人への感染はないのか、その他の動物への感染はどうなのか「敵が打ち負かされていない」だけに、不安は消えてしまいそうにありません。
しかし、「パニックに陥らないためには、自分の耳に届く不安に満ちた情報を理性的に判断する必要がある」とこの本の著者はいいます。

実は、この「敵」が姿を現したのは3世紀も前のことで、この本では、以来、この姿なき「敵」の正体を追跡する人々の物語が推理小説のように描かれます。
羊のスクレイピーに直面した獣医師や、クロイツフェルト・ヤコブをはじめとする神経病学者たち、クールーを研究したガイジュセックやプリオンを発見したプリシナー、何と多くの人々がこの追跡をおこなって成果を上げてきたことか。

読みながら、多くの犠牲が生じ、恐怖が広がりながらも、次第に「敵」の正体が暴かれていくことに、私たちは近い未来で「敵を打ち負かす」希望をいだくことができます。
BSE追及の歴史をつうじて、学問的研究がどのように発展をとげていくのか、を知ることのできる科学読み物でもあります。

著者は1940年生まれ、フランス・パスツール研究所元所長。

■出版社:紀伊国屋書店

サナダから愛をこめて

5otona.gif「一虫息災」とは私の造語。人間どうも「虫」を飼っていた方が元気らしいぞ。
著者の藤田紘一郎先生によれば、日本で回虫などの寄生虫が駆除されてしまった1970年代からアトピー性皮膚炎などのアレルギー病が日本に出現してきた。体内の寄生虫自身がアレルギーを抑える役割を果たしていたのだ。

戦後、世界有数の無菌国家・日本を実現したことが、逆に日本とくに若者を脅かすことになった。
藤田先生は、過去30年以上にわたって世界各地の飲料水についても検査してきた。その結果、世界の大都市で日本人が「生」で飲んでも差し支えない都市はわずかに8都市でしかないことがわかった。
世界では、水道の栓をひねるだけで飲み水を得ることができる国をさがす方がむつかしいのだ。
そんな無菌国家にすむ日本人が海外に出たらどうなる。

おいしいと食べた料理で寄生虫に感染することがある。性行為におよぶとエイズ、肝炎、淋病などヒト由来の感染の危険が大きい。さされた蚊やハエ、寄生虫による病気にかかる可能性もある。熱帯熱マラリアなどは発熱後5日間のうちに治療を始めないと死亡するので、重大な危険を伴う場合がある。
海外に旅行する日本人が急増する中、そんな危険にどう対処したらいいか?その答えをまとめたのがこの本だ。副題には「信じられない海外病のエトセトラ」とある。

藤田先生は旅行好き、食べ物好き、ジャングル好きで、先生自身が「いろいろな病気にかかり、いろいろな事件に巻き込まれたのだ。しかし、僕はちゃんと元気に日本に戻ってきた」(本文から)。
しかも、先生は現在、東京医科歯科大学医学部教授、医学博士。

かつて「笑うカイチュウ」の著書で時の話題をさらい、研究と健康のために自らお腹の中でサナダ虫を飼うという筋金入りの病原微生物研究家なのだ。
その藤田先生の数々の病気や事故についての経験が、おもしろおかしいメディカル・エッセイとして文庫化された。役にたたないはずがあろうか。乞御一読。 

櫻よ-「花見の作法」から「木のこころ」まで

4otona.gif中国で花といえば桃、日本では花といえば桜ですね。古代から親しまれ、これほど日本人に愛され続けてきた花もほかにないでしょう。
日本のシンボルのような桜ですが、実は現在、日本の桜の80%は染井吉野なんだそうですね。

染井吉野は明治の初期、一種の突然変異で生まれた品種を東京の植木屋さんが売り出したもので、まだ長くても百年ほどしかたっていない。接ぎ木がしやすく成長が早いので、日本中に広がった。ところが人間が作り出した桜なので、最後まで人間が関わらないと生きていけないし、寿命も百年から50年と短かい。 「けども植樹した桜は、人間の都合で植えたわけやから、最後まで面倒みてやらんとあかんのです。」植木屋の藤右衛門さんは指摘します。

藤右衛門さんは代々の「櫻守」。
櫻の品種が絶えないようにと、先々代が全国を桜行脚して苗木を集め、植えたのが家業のはじまりです。
「たった5日の美しい花を咲かせるために、残りの360日を誰も見向きもしない桜を気にかけ、世話をすることに専念してきた。どこであろうと出かけていって、手入れをし、貴重な種は絶えず保存していかなければならない。阿呆でなければできぬことだ、とつくづく思う」という籐右衛門さんが、桜についてその思いを語ったのが本書です。

今のお花見は「桜も困ってると思うわ。桜が、もししゃべれたら、静かにして。あんたら何しにきよったんや。いいかげんにせえよ、と怒鳴りたい気分やろね。」「花見は一人でするもんや」という「花見の作法」から、雪月花というのは「雪が降ってるのに、満月で、桜が咲いてる風景のことやと思てます。これ以上、粋なもんありませんわ。」という四季折々の桜の風景の楽しみ方まで、語ってくれます。
「花はさかりを月はくまなきをのみ、みるものかは」という一文が徒然草にあるように、「お花見お花見!」と騒ぐ方ではない私ですが、あでやかで誇らしげにさえ見える満開の桜をながめていると、「やはりいいもんだなあ」と明るい気分になります。 

その陰に、人生をかけて桜を世話し守ってきた籐右衛門さんのような「桜守」の存在があるんだということに感嘆しないわけにはいきません。
ここ九州では、花見の季節は一月ほども前にすぎてしまいましたが、皆様は今年、どんなお花見をされたでしょう。今年の桜を思い出しながら、桜守・籐右衛門さんの言葉をたどってみるのも花見の後の一興だと思います。

おとな二人の午後

3otona.gif最近の日本は子どものような文化に毒されてしまっていないか?
テレビ番組にしても出てくるタレントはみんなガキっぽい。やっていることも決して底の深くない娯楽番組でお気楽なものじゃないか。考えてみれば、政治だって子どもだましのようなレベルで続いてきたようなものだ。いったい本物のおとなたちはどこにいってしまったんだ?

いきなり小言おじさんのようなセリフで恐縮ですが、最近、おとなの世界が狭くなってしまったのではないかという気がしませんか。

分別があり確固として社会を支えている自信をもち、本物の楽しみを知りながら、子どもたちの教育や養育にも気を配っているような大人の世界を、どこかうとましい遠い世界のように見て、気まぐれにただ楽しく遊んでいる子どものような風潮が、いまの日本を支配しているといったら言い過ぎでしょうか。
そんな中で「大人であることの意味と楽しみ」について縦横に語り合う二人がいました。作家の塩野七生と五木寛之。場所はイタリア・ローマのホテル。

ホテルへのこだわりにはじまり、おしゃれのこと、靴、古代ローマの男たち、政治と教育、健康法、ワインや車、宗教から静かな死まで幅広い。脈絡はないようでいて、実は誰もが大人としてきっと意識するテーマをとりあげていることがわかります。

  五木「おしゃれというのはなかなかたいへんなんですね。一生かかる
     かもしれない、フルコースを楽しむには」
  塩野「そして、おしゃれの真髄は絶対にねえ、中年のもの」 
                      (『おしゃれは悪魔の誘い』)
  塩野「ヨーロッパのシンポジウムでも私、言ってるんです。仏教だけの
     ところでは宗教戦争は一切、起こっていないと。それは私たちの
     宗教観の特質だから、堂々としていればいいんですよ。」
  五木「ほんとにそうだ。日本の後進性のように言われていたものが、
     じつは、われわれがほんとの意味で近代を超えて生きていくうえ
     での大きな可能性になるかもしれない。」
                   (『私たちにとって宗教とはなにか』)

対談のいたるところで「なるほど。そうだねえ」と思う部分にぶつかって、次第に対談に引き込まれていきます。まるで自分が二人のそばに座ってでもいるかのように。

私は塩野七生(ななみ)さん好きですねえ。イタリアに住み、イタリアの歴史を題材にした小説をつぎつぎに発表。ローマ法王の政治を題材にした『神の代理人』、ヴェネチィアを題材にした『海の都の物語』など、骨太の文章で描くイタリアは、私にとって大変親しみのある国になりました。
アドリア海に浮かぶ小都市でありながら共和制を永年維持し、繁栄を誇ったヴェネチィアや、唐の都長安とともに古代の世界都市であったローマを、ぜひ訪ねてみたいと思ったのも、塩野さんの作品にふれたからでした。

その作品も、自立したその生き方も、まさに大人。 女性でも男性でも、こんな大人の良さを主張できる人たちが、今の日本にどれほどいるだろうと思うと、「なんで日本にはこんなにガキが多いんだ」と、私は最初の小言おじさんに戻ってしまうのです。

蛇足 この本は「家庭画報」に連載されて話題を呼んだ対談の単行本化。本の帯には「ほんとうのおとなたちへ そして、これからおとなになる人たちへ」とあります。この編集者も「おとなの復権」の必要性を意識しているのかしらん。

■出版社:世界文化社

とんかつの誕生

2otona.gif■沖縄のとんかつ
数年前、沖縄に行った際、帰りの飛行機の出発まで少し時間があり、ちょうど昼時だったので那覇市国際通りで「とんかつの店」を探したことがありました。 沖縄は日本で有数の豚肉消費県だと聞いていましたから「きっとおいしいとんかつの店があるにちがいない」とふんだのです。
ところが探してもそれらしいお店が一向にありません。やっと一軒みつけて入りました。 店のアルバイトらしい人は白人の男性で、ロースと頼んで出てきたとんかつは大きなブロック肉、衣は薄くしっかりしていて、横にも縦にも包丁がはいっていました。ふだんなじんでいるものと少々ちがいましたが、まぎれもなくとんかつの店であり、おいしくいただいて満足して飛行機に乗りました。
空港にむかうタクシーの運転手さんに聞くと「とんかつ?あんまり沖縄にはないよ。豚肉は油で揚げることしないでみんなたべるからね。あんたが入った店は、那覇市内では一番おいしい店の一つ。飛び込みで入ったんなら、良い店に入ったよ。」と教えてくれました。
「そうか沖縄の人は、伝統的によく豚肉をたべるのに、とんかつとして食べるわけではないらしい」と思えました。

■明治維新と洋食
では、洋食の王者・とんかつはどのようにして誕生したか?その疑問に答えてくれるのが、この本です。著者は、長く日清製粉で小麦粉の研究に携わってきた人で、食文化史研究家の岡田 哲さん。
とんかつに限らず、あんパン・ライスカレー・コロッケなど、日本の庶民が西洋料理を自分の口に合うように改良して、洋食として定着していく様子を描いて楽しいよみものです。
豚肉は、もともと江戸時代に中国から当時の琉球・薩摩をへて伝わってきたとされています。でも、さかんに食べられるようになつていくのは、やはり明治維新後のことのようです。

■天皇の肉食
明治五年正月、明治天皇はついに肉食をします。近代化の遅れ・欧米人との体力差を解消しつつ、その文明をどう取り入れるのか、肉食の解禁はその答えの一つでした。「天皇にみずから肉食の範を示してもらい日本の近代化を推進しようとした」のです。
肉食に反対する白装束の行者10名が皇居に乱入し、4名が射殺される事件や、肉食派の福沢諭吉と米飯派の森鴎外との対立などのエピソードも交えて、その後、肉食が定着していく歴史もこの本ではたどってあります。
さて、文明開化の掛け声とともに奨励された洋食も、ナイフやフォークをつかって食べるのは庶民にとっては苦手なものでした。しかしここで発揮されるのが日本人の知恵、次第に味も食べ方も自分たちになじみやすいものに改良していきます。 東京銀座の煉瓦亭が刻みキャベツをつけたとんかつの前進「豚肉のカツレツ」を売り出したのが明治28年、大正7年には「かつカレー」が、三年後に「かつ丼」が誕生。

■ついに上野で誕生
分厚い豚肉に下味をつけ、てんぷらのように揚げる。付け合わせに刻んだ生キャベツ、箸でたべやすいように包丁できって皿へ、味噌汁とご飯がよくあう、ポークカツレツとは似て非なる日本三大洋食の一つ、とんかつが上野御徒町「ポンチ軒」でついに誕生するのは昭和4年のこと、ポークカツレツの登場以来じつに60年が歳月がすぎていました。
なぜ日本でこれほど「洋食」が定着していくのか、なぜ中国や朝鮮半島ではそれほど定着しなかったのか、カレーライスやコロッケ・あんパンなどはどうやって登場したのか、などなど、ここまで本書の受け売りをしてくると、疑問はどんどん広がって際限がありません。
あとは、同書を読んでいただくとして、さて我が家でも、とんかつを揚げる良いにおいがしてきました。夏バテしないように 今夜の夕食は「とんかつ」。ビールもよく合いますね。いただきまーす!

■出版社:講談社選書メチエ

田辺聖子の源氏がたり(一)

1otona.gif昨年3月、リーガロイヤルホテル小倉で「久女と私」と題する田辺聖子さんの講演会が開かれました。久女とは小倉が生んだ悲劇の天才女流俳人・杉田久女のこと。田辺さんは、久女に暖かい目を注いで「花衣ぬぐやまつわる わが愛の杉田久女」を書き、その作品は1987年度の日本女流文学賞にもかがやきました。 1700人で埋まった会場で田辺聖子さんは「久女さんは国の宝です」と話し、激しく一途な女流俳人の作品と生涯について次々と語りました。大変面白く、またその姿は(そのご年輩には失礼ながら)可愛らしくさえあり、感激したのを覚えています。

 その田辺聖子さんが日本文学の古典中の古典「源氏物語」について、毎月一回、大阪のリーガロイヤルホテルで36回にわたって語ったのをまとめたのが本書です。新源氏物語の訳もある当代一の源氏読みで、実力ナンバーワンの作家がその神髄を語るのだから、面白くないはずはありません。 そのお話は千年も昔の王朝時代を縦横無尽に駆けめぐり、光源氏をめぐる数々の愛の物語をあざやかにひもとくのです。
 ダンテよりもシェークスピアよりも、何百年も前の日本にすばらしい愛の長編小説があり、それが一千年にもわたって受け継がれてきたのは、たしかに奇跡に近いことだと思います。なのに今の私たちはそのすばらしい遺産にふれる機会が何と少ないことでしょう。 田辺さんは「源氏物語は大変面白い小説ですから、難しく考えないで楽しくおしゃべりしましょうね」といいます。そのお誘いにしたがって、しばらくは王朝のファンタジーに浸って楽しい豊かなひとときをすごすのも良いのではないでしょうか。 
(本書は、桐壺から松風まで全3冊のうちの(一)。次が待ち遠しい!)
■出版社:新潮社

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