「せらちゃんノート: 2012年1月」アーカイブ

市立八幡病院建て替えへの課題は?

今日開かれた市議会保健病院常任委員会は「地域医療についての調査」ということで、昨年11月9日の現地市立八幡病院の視察をふまえた今後のあり方について議員間で論議を行いました。

色々と発言がありましたが、市立八幡病院の老朽化が進んでいること、小児医療や災害医療など政策医療への期待が高いことから、ほとんどの委員が八幡病院の建て替えに賛同しているようでした。

私も、建て替えに反対するものではありません。しかし「赤字でも当然」「一般会計から繰り入れすれば良い」「一日も早く建て替えを」などと「イケイケ!ドンドン!」では困りますね。

医師が不足して赤字が急増、不良債務も発生してきた市立病院経営は、やっと今改善してきたばかり。この間の経験は、市立病院群の経営がいかに厳しいものであるか、私たちに突きつけてきたのではなかったか。

そこで、私は、市立八幡病院の「移転新築」を進める前提として、どのような課題があるのか、以下の3点を申し上げ、議論を進めることを提案しました。

第一は、まず市立八幡病院にどのような機能を持たせるのか、しっかりとした議論が必要だという点です。

八幡病院は、第二急患センターをコムシティ内に切り出すことを決めましたが、その上で、小児医療については初療から三次まで小児救急・医療全てを実施することになります。いわば子ども病院的な性格が強まるのであり、そうであれば、小児医療のセンターとして最もふさわしい機能とロケーションを検討すべきでしょう。

また、3.11大震災後の本市の位置づけを検討すれば、現在充実しつつある災害医療については、北部九州あるいは東九州地域をにらんだ災害医療の拠点としての整備が求められるのではないでしょうか。その際には、消防や他の機関との連携など、機能・ロケーションともに再検討が必要だと思います。

それに今日は言及しませんでしたが、市立療育センターの西部地区での役割分担をはかる「療育機能」の整備も懸案事項です。

これらの検討結果によって、機能と規模・ロケーションなど大きな違いができてくるはずで、これらをまずしっかり検討する必要があると思います。

 

第二点には、医師の確保をどのように見通しをたてていくのか戦略的に検討しておく必要があるという点です。

医師がいなければ、どんなに立派な建物を建てても病院経営はできません。私たちのこの間の経験は、大学医局などとしっかり連携する必要性をいやと言うほど感じさせられたのではなかったか。  

安定的な医師確保策を確立するためには、どことどのように連携して現実的に医師確保をはかるのか真剣な検討が不可欠です。

 

第三点目には、市立医療群の安定的な経営について確固とした見通しが必要だという点です。

もし八幡病院を移転建て替えしようとすると、少なくとも100億から機能によっては200億円という規模の財源が必要です。しかも医療機能を、責任をもって安定的に維持していく必要があります。決して簡単なことではありません。

黒字であった病院が、一歩間違えれば直ちに多額の赤字を抱えることにつながる実例を、私たちはほんの数年前に経験してきたはず。

「市立病院だから赤字で当然」などという意識でいたら、とんでもないことになってしまうのではないでしょうか。

一定の医師を確保した上で、どのような経営をしていくのか、冷静な収支計画が求められます。

 

施設の老朽化の度合いを見れば、確かに建て替えは急がなければならないとは思います。しかし、これらの点を冷静に見通し慎重な検討が下敷きになければ、将来に大きな禍根を残すことになりかねません。ここは、まず腰を落ち着けてじっくりとした検討・論議が大事なのだと思います。

杉田宇内先生と久女さん

 昨日の久女忌では、恒例となった講話会が行われ、久女の夫・杉田宇内先生の小倉中学時代の教え子である俵一彦氏の講演がありました。

 氏は「たまには宇内先生のことも話してほしいと依頼された。田辺聖子さんの『花衣ぬぐやまつはる…』はすばらしい作品だが、宇内先生への評価には異議がある。宇内先生は実直ですばらしい先生だった。同窓会ではひっぱりだこでとても人気があった人だ。

 久女さんは、俳句のために家を空け夢中になる。神崎縷々のところへも出かけて噂になる。よくも宇内先生が我慢したものだと思う。久女さんに惚れていたのだと思う。

 久女を貶める資料を提供したのは横山白虹だと思う。私の独断と偏見だが、彼は久女の才能にジェラシーを感じたし、惚れてもいたのだと思う。高浜虚子もそうだと思っている。」などとお話になりました。

 大変興味深いお話しでしたが、白虹さんが「久女に惚れていた」というのは違うのではないかと私は思います。

才能に満ちあふれ、華々しい活躍をはじめた久女の強烈な自意識と時に奇異にみえる行動。こうした女性を実は彼は嫌いだったのではないか。どちらかというとお金持ちの令夫人でおっとりとした多佳子さんのような女性を好ましく思ったのではないか。そして男性中心の当時の小倉の社会では、白虹さんが久女さんを「とんでもない女性だ」と思ったとしても、彼だけの責任でもありません。

 しかし宇内先生は、こうした社会からの厳しい批判を受けとめながらも耐え続けた。それは、宇内先生は久女を愛していたのもそうでしょうが、彼こそ、俳句の才能に突き動かされるように突っ走っていく久女の本質を真に理解していたからなのではないか、と私は思うのです。

 虚子もまた久女の才能を見抜きつつ、困惑していた。経営者たる彼が、娘の女性俳誌経営に支障となりかねない芽をつみ取るため久女を葬り去る挙に出たのではないかとは、すでに多くの方々が指摘されているところですね。彼はそういう人だったのでしょう。

宇内先生を知る教え子の皆さんは、すでに多くありません。また、色々な証言も立場が違えば何らかのバイアスがかるのは避けられないことかもしれません。しかし、これからも久女さんや宇内先生をめぐる証言が残されていって、久女研究が進んで行ってほしいものだと感じました。俵一彦さん、有り難うございました。(写真は、講話される俵さん)

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穏やかに「久女忌」

 21日は北九州の生んだ天才女性俳人・杉田久女の命日。小倉北区の圓通寺境内で恒例の「久女忌」の行事が行われました。

 主催者を代表して久女多佳子の会の柿本和夫会長が「昨年は、文学館で久女展が開催されるなど、久女にとって記念すべき年になりました。講演された高橋睦郎さんは久女を一葉・晶子とならぶ三大女性作家だと評し、久女は日本を代表する重要な存在としてよみがえってきました。皆様のおかげであると同時に、何よりも久女の作品の力によるものだと思います。これからも久女を顕彰し業績を後世にひきついでいきましょう。」とご挨拶。

 久女のお孫さんである石太郎さんも「皆さんのこんなに暖かい雰囲気の中で久女忌が開かれることに感謝します。今後は、若い方にも久女をはじめ北九州の文化的資産が受け継がれていってほしいものです。」などと挨拶されました。

 続いて、圓通寺の林久照住職の読経の中、参加者一人ひとり久女さんが好きだった白菊を献花しました。

北橋健治市長もかけつけて献花したあと「朝顔や…の句を詠んだ久女さんは、今の北九州を見たらどんな句を詠まれたでしょう。夫の宇内先生は旧小倉市で功労賞を受賞されていますが、名誉市民賞というのがあれば、久女さんは最もふさわしい人だと思います。門司の三宜楼を調査した時、久女が師と仰いだ虚子も遊んだときいて是非残そうと思いました。北九州には鴎外などゆかりの人々をしのぶ財産があり、これからも大切に受け継いで行きたいものです。」と挨拶しました。

この日は、久しぶりに穏やかな天候に恵まれ、参加者の方々は、関係者のご挨拶に拍手を送りつつ、暖かな境内の雰囲気を楽しんでおられたようでした。

昨年の久女展開催など「久女再評価」の動きが強まる中で、参加した私も、今年ほど暖かな雰囲気の中で行われた「久女忌」はなかったのではないかと感じました。ぜひこれからも杉田久女顕彰が進んでいくことを願わずにいられません。そこで…

  久女忌や 風あたたかく 礎のうへ

  東風吹いて 香煙ゆるる 読経かな

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第二休日急患センターコムシティ移転へ

 市保健福祉局は、現在、八幡東区の市立八幡病院に併設している「北九州市第二休日急患センター」を、八幡西区黒崎の再開発ビル・コムシティに移転する方針を決定したと今日の市議会保健病院常任委員会で報告しました。

 同センターは市内西部地区の夜間休日の急患に対応する施設として平成7年に開設され、年間15000人を超える市民に利用されています。

 ところが運用の実態を検証すると、同センターが八幡病院に併設されていることから「市立八幡病院の夜間受付窓口だ」と認識して、急患でもないのに受診するいわゆる「コンビニ受診」が目立ったり、全国的な医師不足の中で同センターに出務する医師の減少や疲れが目立ってきました。市立八幡病院は救命救急センターでもあることから、同病院では初期救急から高度な救命医療まですべてに対応することとなることから勤務する医師の疲れが激しく、大学医局からの医師の引き上げ問題にまで発展してきました。

 そこで、同急患センターを八幡病院から切り離し、コンビニ受診を抑制するとともに、八幡病院の医療環境を改善することを主な狙いとして、移転することが課題となっていました。

必要な施設面積の確保や、安全性・救急車の対応、市民の利便性などを検討した結果、現在公共施設の入居を中心に再生を準備している黒崎地区の再開発ビル・コムシティ1階部分に移転することを決めたものです。

市民の認知度も高く交通も便利なことから同センターのコムシティ移転は適切な判断だと考えます。

今後設計の中で、感染症対策や市民導線などさらに具体的に整備していくことになります。

ここで私が強調したいのは、八幡病院の医師の勤務環境が改善するという点です。先日、八幡病院を視察に伺った際に市川病院長からも「ぜひ早急に移転させてほしい」との要望をうけていました。医師の疲弊が深刻なためです。

同センターの移転により、新たに出務医師の確保が必要にはなりますが、何よりも八幡病院への派遣医師の確保にむけた大学医局に対してしっかりとしたアピールになってほしいと思っています。

おめでとう!葉室麟さん直木賞受賞

 今年の芥川賞・直木賞の発表が行われ、北九州出身の葉室麟さんが「蜩の記」で直木賞を受賞されました。誠におめでとうございます。

 私は、かねがね葉室さんが必ず直木賞を受賞されると思い、受賞を逃される度に残念な思いを募らせていたものですから、大変嬉しく思っております。

 葉室さんは、現在久留米市在住ですが、北九州市のご出身。(泉台小学校に在学されていたそうです。)氏と同年代の私が、ホームページで葉室さんの「秋月記」をご紹介したとき、勝手ながら「若い頃に小倉と筑後で、ちょうど真ん中にある秋月をはさんで暮らしていたのかと妙な共感を抱きました。」と書いたのですが、今回、改めて経歴を拝見してビックリしてしまいました。

 何と葉室さんは、私と同じ高校で一年後輩にあたるらしいではありませんか。ということは「秋月をはさんで」どころか、同じ学校で同じ先生に習いながら同じ空気を吸っていたという訳です。

 失礼ながら、本名を聞いても、当時、一学年下に葉室さんがいたという印象がありません。(私は久留米市内在住ではありませんでしたので、市内在住の友人たちは知っているのかもしれません。)

 ともあれ、同世代の本市ゆかり方が見事、直木賞受賞。誠におめでたいことです。また、受賞作品は、約束された切腹という運命の元で、静謐な心を保ちながら生き抜いていく主人公を描いて、現代の私たちにも「人としての矜恃」とは何かを語りかけます。

 まだお読みでない方は、ご一読下さいませ。

 

「出初め式」と「どんと焼き」でスタート

 年の初めの例しとて…気合いの入った出初め式を見ると「ああ今年も始まったんだなあ」と感じます。小倉北区浅野のフェリー埠頭前で行われた今日の出初め式は、あたたかく大変良い天気に恵まれました。本市では成人式も一足早く、今日スペースワールドで行われました。

 ごごには、地元校区のどんと焼き。地域の皆さんが持ち寄ったお飾りを燃やしながら、この一年の無病息災を祈りました。

 まだまだ様々な新年行事が続きます。この一年が、今日の天気のようにおだやかで暖かく良い年になりますように!(写真は三郎丸校区のどんと焼きの模様です。)

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