「北九州ってとこ: 2014年12月」アーカイブ

神嶽川の石造物は市で収蔵へ

本ホームページ11月16日の記事でお伝えした神嶽川浚渫時に発見された「お地蔵さん?」(写真)について、市の調査結果のご説明をいただきました。

墓石HP.jpg

調査により判明したことは、およそ以下のとおり。

「この石造物は、表面上段に仏像が刻まれ、下段に智閑童子、横面に宝暦十二年(1762年)の銘がある。

智閑禅師は唐代末の高僧の名、童子は子どもの意であり、智閑童子は高名な僧の名を付けた戒名(法名)であろうか。本石仏は幼くして亡くなった子どもの供養塔、墓石等であろう。この墓石あるいは供養塔は洪水等で川に流されたものであろう。

仏像頭部の摩耗が著しいが、年号の明確な供養塔あるいは墓石として江戸時代中頃の葬送儀礼の一端を知ることのできる貴重な歴史遺物である。」というものでした。

やはり「智閑」の文字は智閑禅師のことで、250年ほど前の供養塔もしくは墓石だったようです。

1762年頃と言えば、小倉藩では小笠原忠総(ただふさ)の代。与謝蕪村や平賀源内、伊能忠敬などが存命していた時代です。

という訳で、この墓石は貴重な歴史異遺物であり埋蔵文化財として県に登録する手続きを経た上で、市の収蔵庫に収められることとなりました。

 

また、同時に川から発見された「宝来橋」の親柱の方は、宝来橋が江戸期には存在せず、昭和2年以降になって存在することが確認できるとして「宝来橋は明治以降に築造されたと推測されるが、今回発見された親柱がどの時期のものかは不明である」ということになりました。

これは浚渫で出てきた他の木材とともに「産業廃棄物」として処理されることになりますが「念のために、写真を撮り、寸法等がわかるようなものとして保存しておくこと」を確認しました。宝来橋の築造経緯など、関連情報をお持ちの方は、今後もお知らせいただければ幸いです。 

 

先月の浚渫による発見以来、この墓石や宝来橋について、市の文化振興課を中心に方々手を尽くして調べていただいた関係者の皆さんに心より感謝申し上げる次第です。

また、本ホームページやフェイスブックを通じて、この墓石の行く末をご心配いただいていた多くの皆様に「貴重な歴史遺物として」市で「大切に保存する」というご報告ができることを喜んでおります。

高僧の名前のついた戒名を持つ墓石ですから、供養された子どもはきっと賢い子だったのでしょうね。市の収蔵庫で、これから安らかに眠ってくれることでしょう。

北橋市長の講演会開く

小倉北区郊外のとある自治会の主催で、北橋健治北九州市長のお話を聞く「講演会」が行われましたので出かけました。

高台にある同様の地域の例にもれず、高齢化の進む地域ですが、支え合って暮らしておられる皆さんがお互いに声を掛け合って、お越しいただき熱心に市長のお話をお聞きでした。

北橋市長の講演は「これからのシニアライフを考える」いうテーマで、高齢者の健康づくりや生活支援の充実を通じて元気に生涯をおくることのできる市政の今後の取り組み等、約30分の講演ののち質疑応答。

質疑では、空港問題など市の将来についてなど市の将来を決する大きな話題のほか、身近な介護や買い物の困難さ、身近な交通の不便を改善する方策についての質問やご意見が出されていました。

参加された皆さんは「こんな小さな集落に、北橋市長が来てくれて直接お話しをしてくれるなんて有難い。市長のお話を聞いて、ぜひこれからの地域での取り組みを考えたいと思うようになった」などと感想を述べていただきました。私も、こうした地域の支え合いが充実するための自治体の支援について、さらに研究を進めたいと感じました。

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元気な北九州をつくる会が事務所開き

北橋健治北九州市長の後援会「元気な北九州市をつくる会」(合馬紘会長)が事務所開きを行いました。

事務所開きの行事としては、市内のホテルで開かれ、これまで北橋市長を支えてきた「つくる会」のメンバーをはじめ、私たち自治体議員、支援する政党関係者が駆けつけました。民主党からは、福岡県総支部連合会・大久保勉参議院議員が挨拶。私たちの仲間である「ハートフル北九州市議会議員団」が推薦している北橋市長を、民主党としても、これまで通りしっかり支援していく」と決意を述べました。

小倉北区浅野の事務所は、別紙のとおりです。

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北橋市長とハートフル市議団で政策協定

来年初頭に実施される北九州市長選挙で闘うことを、すでに表明している北橋健治市長と、ハートフル北九州市議会議員団(世良俊明代表)は12月17日午後3時30分から市議会内で政策協定の調印式に臨みました。

調印式では、ハートフル北九州議員団の私・世良俊明から、それまでの経緯を報告した上で、政策協定書にそれぞれ署名をし、取り交わしました。

協定書では、北橋市長が引き続き「人にやさしく元気なまちづくりを推進する」ため、合意した12項目を基本政策とするとともに、市政運営にあたっては、これまで通り、一党一派に偏することのない「市民党」の立場を基本姿勢とすることを確認して、政策協定を締結する主旨が明記されています。

 基本事項の12項目は、どれも私たちハートフル北九州市議会議員団が、これまで市議会の質疑などで取り上げながら、今後の北九州市のまちづくりの重要課題であるとしてきた事項を、会派での協議を経て整理したものです。

 子育てや教育、福祉や環境、地元中小企業を重視するハートフルな市政を、これまでの実績を踏まえて、さらに発展させ、新成長戦略の展開や若者世代の定着、低炭素社会の実現への取り組みを通じた世界の環境首都づくり、観光文化スポーツによる賑わいの創出、公共施設のアセットマネジメントや持続可能な安定税財政をめざす行財政改革などに具体的に取り組むものとなっています。

協定書の調印を踏まえて、北橋市長には推薦決定通知書をお渡ししました。手交後、北橋市長は「自分が市政を担当した当初から支援し提言もしてきてくれた市議会有力会派であるハートフル北九州の皆様のご支援はまことにありがたい。2020年にむけて人にやさしく元気なまちづくりに更に取り組みたい」と今後への強い決意を表明されました。

北橋市政の誕生の時から、市長を支え、ともにまちづくりを進めてきた「与党中の与党」を自認するハートフル北九州市議団は、この政策協定の締結を機に、そのことを多くの市民の皆様にご理解いただきながら、来年が、人にやさしい元気なまちをつくる「ハートフル市政の第三ステージ」の幕開けとなるよう、全員が一致して頑張る決意を固めあいました。

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小倉城が再開館!

近年、外国からのお客様にも人気がでてきた北九州観光名所の一つ、小倉城は、耐震工事等のため休館していましたが、このほど竣工し、12月14日に再開館記念式典が行われました。(当日の模様は世良俊明フェイスブックもご参照ください。)ぜひ多くの観光客が小倉城を訪れてほしいものです。

 

そこで小倉城の歴史と話題について少し。

小倉城は1600年の関ヶ原合戦の当時は西軍・毛利勝信の所領でしたが、これを黒田官兵衛が開城させた後、領主となった細川忠興が1608年に完成させて入城、初代小倉藩主となりました。

細川忠興は、あの細川ガラシャ夫人の夫。自らはキリシタンではなかったものの、当初はキリシタンを保護し、当時の小倉にもスペイン人宣教師が出入りし、複数の天主堂(教会)もあったそうです。

 

小倉城の造りは「南蛮造り」(もしくは唐造り)と言い、5階が4階より大きくなった特徴的なつくりですが、これらは当時の宣教師の中に建築を良くするものがあり「天守閣造営に際して国主は同宣教師の説を入れてギリシャ風をカミしたる由」と小倉藩士の記載があります。当時盛んになったキリスト教の影響がみられるのですね。(黒田官兵衛・如水も最後まで敬虔なクリスチャンであったことは良く知られています。)

小倉城天守閣.jpg

 

創建当時は破風などのないシンプルな造りであったのが、昭和34年に現在の小倉城が再建された時、観光のための配慮として破風などが付け加えられたのだそうです。(それが良かったのかどうか、ですね。)

創建当時の姿は残っていませんが、岡山市の津山城が小倉城をモデルとした城であったことが知られています。津山城は古い写真が残っており、創建当時の小倉城もこれに似た造りであったことでしょう。

津山城主・森忠政が家臣に命じて、ひそかに小倉城の姿を写し映し取っていたのが発覚、ところが細川忠興はこれを咎めることなく城郭図を津山に送ったほか、完成にあたって「朝顔の半鐘」という鐘を贈ったとされています。

忠興の心の広さを示すエピソードですね。

津山城.jpg

実は細川忠興はその後、ガラシャ夫人と宣教師セスペデスの死後、次第にキリシタンを弾圧するようになり、最も冷酷な迫害者の一人になっていきます。遣欧使節団として12歳でローマにわたった中浦ジュリアンが逮捕されたのも小倉でした。

作家の劉寒吉さんは、編集執筆にあたった小倉市政50周年記念誌「小倉」(昭和25年刊)の「きりしたん物語」の章で「かつては異国のうるはしい楽器の音と、こんたす(珠数)をつまぐって念ずる おらしょの敬虔な声に満ちた天上の楽園だった小倉も、キリシタンにとっては業苦にさいなまれる いんふぇるの(地獄)と化した。」と書いています。

小倉城再開館(2014年12月14日)-5.jpg

 

ぜひ小倉城にお越しいただいて、歴史を感じるひと時をお過ごしください。

写真は、現在の小倉城天守閣。津山城の古写真。それに小倉城再開館のイベントに駆けつけてくれた熊本城おもてなし武将隊の細川忠興さん(もちろん彼は心優しくサービス精神豊かな若者です。)

 

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