「俳人杉田久女: 2012年1月」アーカイブ

杉田宇内先生と久女さん

 昨日の久女忌では、恒例となった講話会が行われ、久女の夫・杉田宇内先生の小倉中学時代の教え子である俵一彦氏の講演がありました。

 氏は「たまには宇内先生のことも話してほしいと依頼された。田辺聖子さんの『花衣ぬぐやまつはる…』はすばらしい作品だが、宇内先生への評価には異議がある。宇内先生は実直ですばらしい先生だった。同窓会ではひっぱりだこでとても人気があった人だ。

 久女さんは、俳句のために家を空け夢中になる。神崎縷々のところへも出かけて噂になる。よくも宇内先生が我慢したものだと思う。久女さんに惚れていたのだと思う。

 久女を貶める資料を提供したのは横山白虹だと思う。私の独断と偏見だが、彼は久女の才能にジェラシーを感じたし、惚れてもいたのだと思う。高浜虚子もそうだと思っている。」などとお話になりました。

 大変興味深いお話しでしたが、白虹さんが「久女に惚れていた」というのは違うのではないかと私は思います。

才能に満ちあふれ、華々しい活躍をはじめた久女の強烈な自意識と時に奇異にみえる行動。こうした女性を実は彼は嫌いだったのではないか。どちらかというとお金持ちの令夫人でおっとりとした多佳子さんのような女性を好ましく思ったのではないか。そして男性中心の当時の小倉の社会では、白虹さんが久女さんを「とんでもない女性だ」と思ったとしても、彼だけの責任でもありません。

 しかし宇内先生は、こうした社会からの厳しい批判を受けとめながらも耐え続けた。それは、宇内先生は久女を愛していたのもそうでしょうが、彼こそ、俳句の才能に突き動かされるように突っ走っていく久女の本質を真に理解していたからなのではないか、と私は思うのです。

 虚子もまた久女の才能を見抜きつつ、困惑していた。経営者たる彼が、娘の女性俳誌経営に支障となりかねない芽をつみ取るため久女を葬り去る挙に出たのではないかとは、すでに多くの方々が指摘されているところですね。彼はそういう人だったのでしょう。

宇内先生を知る教え子の皆さんは、すでに多くありません。また、色々な証言も立場が違えば何らかのバイアスがかるのは避けられないことかもしれません。しかし、これからも久女さんや宇内先生をめぐる証言が残されていって、久女研究が進んで行ってほしいものだと感じました。俵一彦さん、有り難うございました。(写真は、講話される俵さん)

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穏やかに「久女忌」

 21日は北九州の生んだ天才女性俳人・杉田久女の命日。小倉北区の圓通寺境内で恒例の「久女忌」の行事が行われました。

 主催者を代表して久女多佳子の会の柿本和夫会長が「昨年は、文学館で久女展が開催されるなど、久女にとって記念すべき年になりました。講演された高橋睦郎さんは久女を一葉・晶子とならぶ三大女性作家だと評し、久女は日本を代表する重要な存在としてよみがえってきました。皆様のおかげであると同時に、何よりも久女の作品の力によるものだと思います。これからも久女を顕彰し業績を後世にひきついでいきましょう。」とご挨拶。

 久女のお孫さんである石太郎さんも「皆さんのこんなに暖かい雰囲気の中で久女忌が開かれることに感謝します。今後は、若い方にも久女をはじめ北九州の文化的資産が受け継がれていってほしいものです。」などと挨拶されました。

 続いて、圓通寺の林久照住職の読経の中、参加者一人ひとり久女さんが好きだった白菊を献花しました。

北橋健治市長もかけつけて献花したあと「朝顔や…の句を詠んだ久女さんは、今の北九州を見たらどんな句を詠まれたでしょう。夫の宇内先生は旧小倉市で功労賞を受賞されていますが、名誉市民賞というのがあれば、久女さんは最もふさわしい人だと思います。門司の三宜楼を調査した時、久女が師と仰いだ虚子も遊んだときいて是非残そうと思いました。北九州には鴎外などゆかりの人々をしのぶ財産があり、これからも大切に受け継いで行きたいものです。」と挨拶しました。

この日は、久しぶりに穏やかな天候に恵まれ、参加者の方々は、関係者のご挨拶に拍手を送りつつ、暖かな境内の雰囲気を楽しんでおられたようでした。

昨年の久女展開催など「久女再評価」の動きが強まる中で、参加した私も、今年ほど暖かな雰囲気の中で行われた「久女忌」はなかったのではないかと感じました。ぜひこれからも杉田久女顕彰が進んでいくことを願わずにいられません。そこで…

  久女忌や 風あたたかく 礎のうへ

  東風吹いて 香煙ゆるる 読経かな

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