「国の政治は: 2015年9月」アーカイブ

安保法制法案は撤回を

国会の会期末を見据えて、いま週末ごとに「安保法制法案を廃案せよ」という意思表示が全国的に行われています。

9月5日には、民主党福岡県連が主催する集会が、博多駅前で行われ、小雨の降る中でしたが、多くの方にご参加いただきました。

集会では、民主党本部から長妻昭代表代行が駆けつけ「法律とういうのは憲法の枠内でしか作れないものだ。憲法を逸脱する法律を作ると言うなら、憲法を変えてから堂々と作ればよい。それができないのは明らかなのに、強引に憲法違反の法律を強行しようとすることは許されない。今回の安保法制法案は廃案にすべきだ」と訴えました。

また、翌6日の午後2時からは福岡県弁護士会の主催による市民集会が、北九州市小倉北区の勝山公園で行われ、民主党からは緒方林太郎衆議院議員が演壇に立ち「時間がたてばたつほど今回の安保法制法案への理解が深まらないという酷い状態になっている。こんな法案を通してはいけない」と訴えました。

博多集会9月5日.jpg

この日の参加者は、4000人(主催者)。集会のあと、参加者は、JR小倉駅までデモ行進(パレードということでしたが)を行い、法案の撤回をアピールしました。

 

私も、今回の安倍政権による安保法制法案は「撤回すべきだ」と考えます。

それは、まず何よりも、1972年以来40年間にわたって「集団的自衛権の行使は憲法の規定により認められない」としてきた国会・政府による判断の積み重ねを、一内閣による突然の閣議決定で覆すというのは、あまりにも乱暴だと思うからです。

多くの憲法学者や歴代の内閣法制局長官、元最高裁判事までが強い懸念を表明しているのは当然のことです。

為政者は、政治的法的論議の積み重ねを尊重し、これにまず謙虚であるべきです。でなければ法的安定性を維持できない。まさにそこが問われているのです。

専門家を含む多くの国民からの「憲法違反」の指摘に対して、国民を納得させるだけの論拠を依然として提示できないまま、法案だけを強行採決することは許されないと思います。

 

さらに、この間の国会論戦等で、政府が、限定的で、かつ国の存立にかかわる事態であれば集団的自衛権が認められると強弁するのは、個別的自衛権との境目を意図的にぼかしながら集団的自衛権の行使へ踏み込もうとするごまかしではないのかと思います。

安保環境の変化などとして示唆されている尖閣列島への中国の介入事態への対処などは、本来、個別的自衛権と日米安保条約の適用に関係する事例であり、集団的自衛権の問題として語られるべきものでもないでしょう。

個別的自衛への不安を背景に、集団的自衛権の行使を許容させようというのは姑息なやり方だと思えます。

そもそも集団的自衛権の行使を容認するというのなら、日米安保条約に基づき基地提供や思いやり予算の支出によって「双務性」が担保されてきたことを基本的に議論し見直さなければ、日米のバランスが取れない。

「基地も資金も」提供し、今度はさらに「血も流し、敵も作る」というのは、何よりも国民の安全と国益を守るべき日本の為政者の、今やるべきことなのだろうか。

もしも、政権が国民の利益や安全をよそにアメリカの「尖兵」になり下がることしか考えていないのであれば、誠に情けないことではありませんか。

 

一方、私はこの安保法制法案を「戦争法案」と言い切ってしまうのには少々抵抗感があります。この法案により、正規軍同士の大規模で長期的な戦闘が行われる「戦争」という事態につながると喧伝するのは、ちょっとフレームアップしすぎかなと思います。

実際には、アメリカを中心とする多国籍軍やPKO・PKFなどに、前のめりに参加していけば、自衛隊員が海外で局地的な戦闘に巻き込まれ、場合によっては死者が発生する(もちろん敵対勢力や住民等にもおこりうる)などは、大いに考えられるのではないでしょうか。もちろん「敵」によるゲリラ攻撃・テロ等を呼び込む可能性も否定できません。(そのリスクさえも否定しようとする政権の態度は、誠実なものではありません。)

法案を強行しようとする為政者は、その様な事態を本当にリアルに考えているのだろうか。装備も防衛司法等も、ハード・ソフトともにほとんど整備されていないと思われる現状を見れば、私にはとうてい理解できません。

私には自衛隊員の友人もいますが、強行すれば、彼らを危険にさらし、場合によってはむざむざ死に至らしめる可能性もある法案を、このまま通過させてはいけないと考えています。

(以上は、あくまでも私個人の見解です。)

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